2009年1月5日月曜日

今日の想い 36

今現在の自分の在り様は、良くも悪くも今に至るまでの過去の結果としての自分だ。しかしその結果を持って終りなのではなく、一刻一刻と未来に向かい結果は更新され続ける。今の霊的内的在り様も、そして霊的内的なものの表れである外的在り様も、一刻一刻と変遷している。人間は正面を向き、前に向かって進むように身体は創られている。後ろ向きになって前進するように神は人を創造していない。身体がそのような在り様をしていると言う事は、霊的内的在り様もこの地上に於いては前進する在り方をしている。時は未来を指向して流れている。肉体を持ちこの地上で生きていく限り、時の波に逆らう事はできない。立ち止まり過去を振り向いても、時は流れていく。時が止まるのは肉体を脱いで死の門を超えた時だ。その時は否応無く、過去の歩みを振り返らされる。この地上に生きている以上、時が流れる事が、人間理想へ向かう自由を神が保障している。今現在の在り様がどの様であれ、一瞬一瞬の時を未来に繋いでもらう事により、等しく理想に向かう扉は開き続ける。人間として過去を振り向く事が出来るのは、明日を見つめ理想を目指す為の舵取りのデータの為であり、決して今の在り様という過去の結果を裁かれる為ではない。神は裁かないのにどうして自分が自分を裁く事が出来ようか。過去に執着し未来への新たな理想、修正された理想に向かう一歩を踏み出せないのは、お前は既に死んでいると囁き続けるサタンの常套手段である。神は必ず道を用意されている。一歩でも半歩でもにじり寄りでもいいから前進しようとする意志を持つ事で、その道の扉は開き続ける。理想への道を用意されている神を信じることが信仰の基台であり、理想に向かい一歩でも半歩でも前進しようとする意志を持つ事が、実体基台である。生きる事とは、良心に届く神の願いを与えられながら、その願いに紙一重づつ応えていく信仰基台と実体基台の積み重ねを言う。

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