2009年1月8日木曜日
組織の在り方 その二(ボトムから)
売上を上げろ。利益を出せ。経費は減らせ。上からの大号令に現場は辟易している。売上を上げられるものなら上げたい。利益を出せるものなら出したい。経費削減できるところがあればとっくにやっている。そんなことは解りきっている。それでも容赦なく突っつかれるものだから魂は萎縮してしまう。後天開闢時代の幕開けでありながら兄弟が特に開放されていない。魂が萎縮したままでそれでもプッシュされるままに行動しようと思ったら、機械的にならざるを得ない。兄弟達の多くはその状態なのではないだろうか。本部なり上に立つ者の立場で、実力に欠けるとかヤル気が無いと判断し責めたとしても、ある意味、ある期間、機械的に扱われてきたことも事実だろう。理想や夢まで否定することも含めて自己否定意識が徹底され、その状態では愛の衝動や感情さえも否定対象となりうる。愛の群れでありながらも、その実体は戦時中の捕虜のように、労働基準法どころか人間性さえ否定されたような扱いを受け、愛の無い激しい叱咤を本人は甘んじて受け周りの兄弟はうな垂れて口を閉ざす。今、そんな扱いを受ければ誰一人付いてくる者はいない。その場に本然の愛があるとは到底思えないし、上に立つ者であれ従うものであれ、愛が芽吹く事もない。しかしその期間が御父様の願いから外れた、当時の責任者を追及すべき暗黒時代であると言う事はできない。そういうある意味非社会人間的在り様の期間が摂理的に必要であったのだろうと私は思う。復帰歴史に於いて、特に旧約の期間に見るような、低級魂が指導者の強烈な脅し命令にただただ従いながら、僕の僕や僕の期間を通過したように摂理の為の基台摂理が必要であったのだと思う。その期間は本人が摂理が解っていようがいまいが、信仰が有ろうが無かろうが、ただただしがみ付いてでも御父様の息のかかった組織体に在籍すると言うだけで、天に繋がれた糸を切られる事は無かった。ある意味、動物魂に見るような集合魂の在り方に近い。一人一人に自我が備わっていない。しかし時代は明らかに変わっている。自我に光が照らされている。感情も意志も否定されていた立場で歩んでいた昏睡意識が役に立たなくなっている。ただ闇雲に付いてくれば良しとされた時代は去った。兄弟一人一人が目覚める時であり、訳の解らぬ儘に動く機械的な歩みを脱して、み旨として歩む事の意味を実感として受け取りながら、今まで眠っていた自我から来る所の、為に生きようとする意志を前面に押し出し、能動的行動によって内外に得るものを実感として受け取りながら、個人の在り様も組織の在り様も変革されていく。全体目的の為に献身することの意味と喜びを見出す、個性真理体としての自我を確立させる。
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