2009年1月6日火曜日
リッチモンドの店
久しぶりにリッチモンドまで足を運んだ。二十数年営業を繋いできた店を売りに出していて、問い合わせのあった二人のバイヤーに紹介してきた。ひと時は今のセールスの倍は売り上げており、家賃を含む固定費が非常に少ない為、いい儲け頭だった。勿論半減した今となっては固定費も経費も高い。高すぎる。天の店という想いからすればどれ程金を積まれても人の手に渡すべきではない。預かる我々の実力のなさもさることながら、天に対する想いの欠如がこの結果なのだ。そう思えば本当に申し訳が無い。古びたレンガ造りの建物が並ぶ、ダウンタウンのマイナーな歴史名所で、夏場はそれなりに観光客を見かけることができる。通りは石畳で敷かれ、車を走らせれば砂利道を走る以上に乗り心地は悪い。しかし見るにはそれなりの趣があって、気持ちをその場に沈めれば馬車が往来する当時にタイムスリップする。しかし趣と言うと語弊があるが、決して明るいものではない。大航海時代に始まって17世紀辺りを過ぎると、世界的に船での往来が盛んだった。勿論様々な商品が往来するわけだが、ヒューマングッヅ、いわゆる奴隷も商品として輸出入されていた。その北アメリカでの一大拠点として、18,19世紀ヴァージニアエリア、特にリッチモンドは大きな商いが行われた場所だ。ふたブロックも東に足を運べば、オークションハウスがある。農産物のセリ場であるけれども奴隷もごく普通にセリ場に立たされていた。二世紀にまたがり、五十万人近くの売買が此の地でなされた。歴史名所ではあるけれど、決して誇りにできる歴史的内容ではない。大々的に宣伝できない影の部分である為、セリ場であるとか奴隷の船着場であるとか、逃げようとした奴隷の処刑場であるとかが、ひっそりと隠れるようにその場その場で紹介されている。開放的なアメリカには珍しく、重い霊界雲が町全体を覆っている。そう言う、いわば曰く付きの地で天の店として営業するとなると、商売云々以前の問題として霊的清算事項に関わらざるを得ないのだろう。一年前に食口のバイヤーであるけれど関心ある人が見つかって話が決まり、チェックまで切り終え、後は引き継いで渡すところまで行ったのだが、最後の最後で彼が理由の知れぬ強度の眩暈に襲われて床に就き、結局本人が弱気になって流れてしまった経緯がある。我々の主管に適わない背後があるのだと思う。それまでにも様々な問題が起こっている。自分の霊的弱さを鑑みれば、できれば避けたいところである。誰もお手上げ状態の此の店を、せめて処分する最後位は申し訳ない想いをその地に抱きつつ、取り合えず幕を下ろすことを許して頂けるよう祈った。何処からとも無く漂ってくるかび臭さに身を包まれながら、、、。
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