2009年1月12日月曜日

天国と地獄

天国に行きたいからとか、地獄に行きたくないからとか、そう言う動機付けで信仰の歩みを続ける事が出来るのだろうか。天国行きと地獄行きを、さも有名大学にでも入る感覚と同じように捉えて、天国行きの門をパス出来る様に善行を積んでいく。地獄に行きたくないから、中間霊界で半永久的に労働をしたくないから悪の環境圏を避け、これをしてはならないあれをしてはならないと指摘された事柄だけを頑なに守り通す。いつから兄弟の信仰生活は冷たい規制と規律でがんじがらめになったのだろう。こうしなさいああしなさい、これはだめあれはだめ、指摘される事柄に自分を服従させて、それが天国生活だと言うなら、そんな天国に住みたくはないし行きたくはない。そんな天国は自分に取って天国ではない。感謝の想いを持ちなさい、指摘されて始めて感謝するべきだと認識する時点で、それは感謝とは言わないだろう。偽装感謝を続けながら本当の感謝に目覚める事ができるのだろうか。肉の衣を脱いで霊界に入って行く時、自分にあった居場所を自分で決める。光り輝く天国に近い場所は自分に取って合わないとするなら、中間霊界であれ或いはそれが地獄であれ、その人に取ってはそこが落ち着く天国なのだと思う。この地上に於いても人を欺く人間は欺き欺かれる世界に没頭している。肉欲のままに生きる人間は肉をむさぼりあう獣化した人間の中を泳いでいる。神の願いが届く良心を、本質の自我を、別のもので覆い隠し無きものとして扱う者達は選んだ生き様が彼らに取っての偽装天国なのだ。ではそういう、高みから見下ろそうとする神を知り真の父母に侍る我々はどうなのか。我々に取っても今の居場所が偽装天国に違いない。更なる高みを慕う想いがなくて、御父母様の在り様に少しでも近づきたいと切なる想いに駆られる事なくして、今の在り様に安住しているなら偽装天国で満足してしまっている。足もとで蠢く者達と差ほど変わるべくもない。あなたは天国あなたは地獄と振り分ける天使なり霊的存在があるとするならそれはそれで構わない。敢えて逆らう事もないし、天国に行きたくてみ旨の道を歩んでいるのでもない。御父母様の在り様に少しでも近づきたい、御父母様の理想を自分の理想として共有したい、ただただその想いあるのみで真っ直ぐ進めればそれでいい。御父母様が地獄へ行けと言われれば、それに従いその地獄で呻吟しながらも、御父様の自分への願いを受けていることに満足すれば、地獄の呻吟は快感の悶えに違いない。地獄に埋もれて呻いている者達が圧倒的に多いのに、天国が至上の安楽な霊界生活の場であるなら、天国で笑みを浮かべているより地獄で涙しているほうが余程人間らしい。御父様の生き様がそのまま天国生活であると私は信じるし、そうであるなら地獄や中間霊界の何倍も、地獄の撤廃の為に働くところだろう。霊界の御国建設の為、身を粉にして働く事を良しとする者、至上の喜びとする者が集まるところに違いない。

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