2009年10月5日月曜日

叫び

夜明け直前が最も闇が濃いと言う。闇に巣食われ、魂の深いところまで侵入される頃合に、やっと一条の光が差し込む。逃げ場の無いやりきれなさで魂をすり減らし、何処に希望の糸口を見出せばいいのかわからない。過去に於いて何度も何度も追い込まれながらも、その都度、崖っぷちでこそ気付きを受け取っていた。その信仰を失うべきではないだろう。その信仰を失うべきではないけれど、新たな試練が寄せ来るたびにその信仰が試される。内なる魂に於いてその状況を高みから見通せることなど出来ようもない。試練の荒波に翻弄されながら揉まれるがままに任せるしかないのか。抗えば抗うほど闇の底に引きずり込まれる。起こり来る思いと感情の中に神から来るものを見出せず、自分という存在が神から見捨てられているとしか思えない。その状況で、それでも自分は神の子なのだ、真の父母を親父でありお袋と呼べる自分なのだと、闇に向かって言い放つ自分を取り戻すことだ。許されようが許されまいが今の時点ではどうだっていいのだ。断食の初日にフルマラソンを走りぬいて、残った日々を生き延びれるかどうかを憂える必要はないのだ。今の今、真の御父母様と魂の底から声を発する自分であればそれでいいのだ。先々の事を思い遣っても、その思いに未来を変える力はない。サタンに負の条件として差し出すものはあっても、神様に手を伸ばす力とはなり得ない。たとえ地獄の底から発する声が力弱く、闇に消されるようであっても、呼び続ける事で光を呼び寄せることができる。精誠を積み重ねる事で必ず闇の中に一条の光が差し込む。そのことの確信が、勝利された真の父母の息子として勝利を相続できる自分なのだ。闇は濃く強く魂の内側に浸透し、そこに希望は微塵も見出せない。しかしその場でこそ自分は真の父母の息子であると言い放つ。息絶え絶えの状況で言い放つ。

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