2009年10月11日日曜日

茜色に想う

環状線を西に向かって走る。大学に息子を迎えに行き、キャンパスを出る頃は暮れかかってはいたものの、東の空もまだ十分明るかった。高速に入ると後ろ側から闇がゆっくりと追いかけてくるのを逃げ延びるように加速していく。西に進路を取れば高台からの穏やかな下りが暫く続く。眼前には夕日に焼けた茜雲が水平に幾つかの層を重ねてたなびいている。助手席で息子も顔を紅く染めながら、同じ風景を見るとは無しに見ているけれど、敢えて目を見張る様子でもなく、私の方からも敢えて感嘆の声を洩らすでもなくそれに触れるでもない。次第に車の速度に闇が追いついて、西の空が紅く映えるだけで辺りは暗くなってきた。五車線の光の帯が闇に浮かび上がって西の空へと続き、その先にはライトアップされたモルモンテンプルの六つの尖塔が、茜色の天を突くかのように聳えている。尖塔にある預言者モロナイの金色のラッパが、金属的な音色を今にも鳴り響かすかのようだ。朝方は小雨模様だったけれど昼時には雨雲も吹き流され、きのうの夏日と打って変わって白雲も高く空気も澄み、時折吹く秋風が肌に気持ちよい一日だった。しかし自分の内面は素直に晴れ晴れしい気持ちにはなれない。平日の売上低迷への不安を、この週末の売上で何とか払拭できればとの思いを日がな持ち続けて過ごしたけれど、それが気休めで将来的なアイデアには繋がらないことは解っている。売上からすれば、明らかにだぶついている従業員をカットすればそれでいいのかも知れないが、信仰的神霊的なものを優先する経営者としてそれで本当にいいのかという声が胸の内に響いている。アメリカの経済状態を霊視するならまさしく眼前に広がっている、闇に広がる茜雲の様相だろう。燃え尽きた消費天国の終焉を、闇に消え入りそうな残り火として茜色に映し出す。現代のモロナイとしてどういうラッパを響き渡らせればいいのだろうか。闇が押し迫るアメリカ経済に対して、み旨としてビジネスに係わって来た者として、どういう態度を取ればいいのだろうか。ラッパをどう吹いたらいいのか、店が向かう舳先を何処に向けたらいいのか、この問いに対する答えが決して単純なものではなく、重い決断を迫れるものに違いないとの観測だけはついている。

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