2009年10月12日月曜日
協助について考える
絶対善霊が協助し、祝福先祖が協助するはずだと構えていても、貴方が期待するような事柄は起こらない。多くの兄弟は協助するという意味がわかってはいない。何か霊界からしてくれるものと言う期待を持ち続けても、それが協助出来る基台とはならない。協助と、手助けの施しとは意味合いが違う。受け取る期待感を持って霊界に接しようとすれば施しを求めていることになり、どれ程待ってもそれに応えるものを霊界は準備することはない。自分や自分の家庭の背後には明らかに絶対善霊、祝福先祖が控えている。それも大群である。霊的な事柄や事情がわからないと、霊的存在を地上存在と同列に並べ理解しようとするけれど、地上的理解で接しようとしても食い違いが生じる。御父母様は我々の先祖を解放され、祝福先祖として何億という霊界祝福をされている。絶対善霊、祝福先祖の霊界圏が厳然とあり、アダムとエバに対する天使世界としての位置に、その霊界圏が我々の周囲に現実としてある。その霊界をどのように動員していくかと言うと、先ず天使世界である霊界に対して私が主体であるという認識を持たなければならない。霊的に主体の位置を取ると言う事は、例えば或る実績を求められている場合、自分はそんな実力はないし果たして出来るものだろうかと言う位置に立てば相対圏である霊界も難しいだろうというスタンスを取らざるを得ない。逆に御父様の勝利圏を信じて必ず出来るしやり遂げるという位置に立てば霊界もそのように働く。あくまで自分が主体の立場で霊界を鼓舞し奮い立たせる気概をもって接する事で霊界は主体である私とひとつになり、ひとつになると逆に霊界から教えられ働きかけられるようにもなり、霊界の大群は私の大軍となる。天使世界としての霊界圏である絶対善霊、祝福先祖に対して常に感謝の念を供えるべきであり、主体としての自分の位置は絶対信仰、絶対愛、絶対服従とひとつになった基準を求められるから、常にそうあろうとする意識を欠かしてはならない。内的事柄であれ外的事柄であれ、一つの勝利基準を目指して或る程度の道のりを歩んできて、八方塞で何処にも解決の糸口が見出せないと思えるような位置に来て、その位置でこそ自分が霊界協助の主体の立場に立てるのかどうか、絶対信仰、絶対愛、絶対服従とひとつになった基準を持てるかどうか、試験を受けている。その場で絶対信仰とは出来ると言い切れるかどうかだ。その際私の事情は無視して先ず言い切ってしまうことだ。
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