2009年10月24日土曜日
深い秋に想う
冷たい雨が三日を通して降り続くと、秋は一気に深まりを増して数日前の残暑が嘘のようだ。木々の葉はまだたいして色づいてもいないのに、早々と散り落ちて土に帰ろうとしている。人々はあれほど照りつける熱を避けようとしていたのに、今は柔らかくなった陽光を惜しんでいる。むせるほどに湿気を帯びていた重い大気も高い空を見通せるほどに透明度を増し、軽やかに風を舞い上げている。こちらに来て久しぶりに虫の声を耳にした。今までも耳を澄ませばそれなりに聞こえていたのかも知れないが、何がそうさせたか気付かなかったようだ。視覚に秋を受け取り肌に秋を感じ、耳にも秋の振動を受け取ると、秋の雰囲気そのままに内面も秋色に染められ、切なさの感情が内面からこぼれ出る。毎年この頃になると帰国し、田舎の両親の顔を見て来たけれど、どうも今年は難しいようだ。この時期にいつもそうしていたのは、秋に覚える切なさのせいだったかも知れない。子供の頃にはそれぞれの季節から受け取る感情が、大きな存在感として占めていた。それぞれの季節への異なる期待感に胸を膨らませていた。それがいつの間にか薄れ、消されていった。今の子供が、私が幼少の頃受け取った感情そのままを受け取っているとは思えない。今の時代がそう言う時代なのか、社会がそれを消し去ったのか、味気ない感情生活を強いられて、神秘的なもの、目に見えない事柄の存在感を知らないままに大人になるなら、人生の喜びの半分は取り去られている。御父母様に向かう想いの根底にも、子供の頃に受け取った多感な感情が慕う力を紡ぎだす。虫の声に耳を澄ましていると心が落ち着いてきた。内面の波をその波長で鎮めてくれる。虫の声には心を癒す揺らぎの響きが含まれている。虫の声に耳が止まったのにはそれなりの理由がある。天正宮での訓読会で、御母様の歌声が披露されていた。配信された動画を前にしながら耳にするその歌声には涙を誘う哀切が含まれ、スクリーンから溢れ出す。その響きを虫の音の中に聞き取れたから耳に止まったのだ。虫の声には神様が尋ねてこられた歴史の哀切が響いている。
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