2009年10月9日金曜日

本質を見る力を得よう

自分という存在を独立した魂の存在として皮膚の内側を自分とし、外側を他として認識するけれど、本来自分という存在は、歴史と切り離されたり周囲と切り離された存在ではない。歴史全体の一分枝であり宇宙全体の一分枝であることを認め、自分という存在の中に歴史上の出来事の反映を見ることができ、世界の出来事の反映を見る必要がある。唯物的概念や思考から宇宙についての真実を受け取ることは無い。悟性に頼り、科学的分析に頼ることで宇宙の真実を手に入れようとすること自体、全くもって的外れな行動と言わざるをえない。歴史の研究家がどれほど古代遺跡を調べ、更なる過去の歴史に目を向けるとしても、せいぜい遺跡と言う外的物質を残せた時期までのことで、人類歴史をアダムとエバに遡り、更に宇宙生成の起源にまで目を向けるなら、今で言う物質や肉体という形を取らずに人類歴史も宇宙生成も流れてきた時期のほうが遥かに長いのだ。外的歴史は極めて表面的な歴史の捉え方であり、歴史の本質は外的歴史の背後に流れ、根底に流れる内的霊的なものを見届けない限り、表面的なものに踊らされ惑わせられていることになる。唯物的な囚われ、表面的な惑わしを外界から受け取る全ての感覚的認識内容、思考的認識内容から分別できる者となることが必要だ。訓読会の御父様のみ言を受け取るときに、そういった堕落的、地上的、唯物的、表面的な認識力を一旦否定し、内的霊的、心魂的、本質的な認識力を強く強くしながら、語られるみ言の霊を受け取る者となる。その次元に於いては、個としての自分は超えている。悠久なる歴史全てを生きてきた自分であり、霊界地上界全ての人間存在を生きている自分という感覚になっているはずだ。御父様は語って語って又語られる。神様がロゴスをして天地創造を為されたように、語るという内的行為を通して生命創造を為されている。吐く息に言葉の形が刻印されながら口から流れ出る時、下方にある胸部腹部や四肢への波を送られながら心情、意志を発動され外界地上界に働きかけられる。また上方、頭部への熱様相の波を送られながら思考内容と結びつき、内界霊界へと働きかけられる。御父様のみ言を語られる活動は擬人化された天地創造過程に他ならない。

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