2009年10月28日水曜日

グランドキャニオン その二

うちの連中は朝がめっぽう弱い。この機会を絶対逃してはならないと思い、ついたその日は明朝に備え兎に角早く休むことにした。翌朝、本当に休めただろうかと思いながら、暗闇に目覚ましの音が響くと同時に飛び起きて皆をたたき起こし、宿を出たのが四時半くらいだったろうか。暗いうちにきのう来た道を引返し、空が白み始めるまでヒーターを入れた車内でしばし待つ。幾らか上空の暗闇が薄くなり始めた頃、様子見のために出かけても、岩地の向こうは暗黒が広がるばかりで暗闇の海の底に沈んだまま姿を現さない。車から出たり入ったりを何度か繰り返しながら、最初の光が届けられて天と地の境界線がはっきり捉えられると、徐々に徐々にそれは姿を現し始めた。岩肌の凹凸に合わせて朱色の淡い陰影を浮かび上がらせる。ゆっくりと時間をかけて紋様を広げていくと、幾筋もの地層に沿って微妙な色合いの違いが浮かび上がる。峡谷の底は辛うじて陰影を醸し出す程度で、色の要素はまだ届けられない。暗い遥か地の底から、オレンジ色に輝いて反射する地表近くまでの、岩肌のあらゆる様相や表情をこの瞬間に目に捉えているけれど、最深の位置から地表までの創造歴史は想像もつかない気の遠くなる時を刻んでおり、更に幾億もの地層を重ねて隆起した地層を今度は寝食する作業工程に数千万年の時が刻まれている。その事実を眼前に広がる景観を受けて実感できる人が果たしてこの世にいるのだろうか。創造歴史、地球生成歴史と一言で言うけれど、この小さい魂でそれを把握することは到底出来ないだろう。ほんの数十年間の人生ですら手に負えない魂でありながら、何億万年という時を刻みながら創造の営みに奉仕してきた魂を前に、自分は佇むことすら出来ないに違いない。神様神様と簡単に口にするけれど、それが分をわきまえないあまりにも畏れ多い言動であることを悟るだけが精一杯なのだ。この景観を前にして、芸術的な感性を働かせながらどれ程美しいかを受け取るのではなく、創造歴史の深みと重みを痛いほどに受け取る者となり、小さな悩みに翻弄される己が魂を恥かしく思う宗教的感情を覚えるべきなのだ。光が溢れて峡谷の全容が明らかになり、自分の周囲に目を遣ると、数人の人達が祈る風にも見えて寡黙に立ち尽くしている。私の背後で、寒さに紅潮させた頬を朝日に輝かせながら景観に見入っている妻や子供を促して、グランドキャニオンを背にすることにした。

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