2009年10月25日日曜日

今日の想い 112

夏場では、一雨勢いよく降ってしまうと後は嘘だったように晴れ渡る。今日朝方は持ちこたえそうだったけれど、そう思うと直ぐにも降り始めた。降り始めた雨は降っても降っても止む気配は無く、空は益々暗くなっていく。夏の雨と秋雨とは別の霊的本性が働いている。この雨に曝されることで大地に息づく全ての生命は活動を弱め、息を潜める。木々や草花が息を大きく吹き返し活動を始める春の様相とは対照的に、息を一雨ごとに弱くしながら仮死状態まで落して行き、やがて来る冬に備えようとする。この雨に打たれることで植物は外界に向かっていたベクトルを内面に向ける。外界から受け取った光を、内面に差し出し、宇宙に通じた内面に差し出すことで繁殖の力を宇宙から受け取る。一日の朝昼夕夜が一年の春夏秋冬にリンクしているように、植物が冬の期間宇宙から繁殖の力、創造の力を受け取るのは、人間が夜寝付くことで、昼に受け取った経験を内面に届けながら明日の生きぬく魂の力を受け取っているのとリンクしている。受け取る魂の力を発展の力、創造の力に費やすことなく、ただ一日を生き延びることのみに使われるなら、人間は植物に対して負債を負うことになる。口にする食物が私を讒訴する。自然の営みには霊的本性たちの叡智が溢れている。堕落人間には想像もできない叡智の領域が自然の営みに係わっている。季節の流れから受け取る感情や深い観察を通しながら、霊的本性の働きを垣間見るだけでも、堕落人間がどれほど恐ろしいくらい無知に陥ったかを知ることができるし、この肉体に住むこと自体が羞恥を超える恐れ多いことだという謙虚の意味を知ることができる。今年の春でもなく、去年の春でもなく、歴史上にはない始めての新しい春を創造するための宇宙的創造の取り組みが、霊的本性を通して既に行われている。

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