2009年10月18日日曜日

今日の想い 110

一昨日からの雨が今朝やっと降り止んだ。車を走らせても見通しは悪いし道路という道路が車で溢れていた。あちこちで青色点滅灯の鋭い光を雨に煙らせたポリスカーが事故の為か車線を限定し、そのために車は遅々として進まない。週末の売上に望みを繋ぐしかないのにこの雨で客足は減ってしまった。この雨が恨めしい。別に店の売上を考慮に入れながら自然の摂理が為される訳ではないので、文句を言っても仕方のないことだが、それでも恨めしい。一雨一雨、重く暗い秋が深まっていくのだろうか。今年はシェナンドア辺りまで足を伸ばし、紅葉狩りでもと思っていたが、別に行けない特別の理由がある訳でもなく、憂えることが多くて出かける機を逃してしまったようだ。木々の葉は紅葉を待たずに雨に落され、濡れ落ち葉となって地に重なりへばり付いている。今朝もどんよりとした雲に覆われ、天からの気が塞がれているようで大気の底でうごめく自分には届かない。御父母様も祝福を前にアメリカの地を出られ、御父母様の居られないアメリカという抜け殻は、大国なだけにひと際寂しいものを覚える。顔を上げるのさえだるさを感じながら、それでも天を仰ぐべきだと自分に言い聞かせ、垂れ込めた雲の重みに身を曝す。ホテルの最上階で、昇る朝日のオレンジ色を部屋一杯に注がれる中を、訓読会の御父様の声音が響いていた。部屋の隅で小さくなって耳を傾けていたその時の感情を思い起こしながら、御父様のアメリカへの想いを残された我々が伝えるべきだろうと諭している何かを感じる。垂れ込めた雲に閉ざされてしまったこのアメリカの、天との唯一の接点は我々であり、我々にその救いは託されているということなのだ。厚い雲を突き抜けて飛翔できる力は備えられているはずで、ただ、周りの暗鬱な様相を醸し出す暗い霊に主管されて見えなくされているだけだろう。絶対信仰がただの御題目に留まらず、御父様の息子娘であると断言されたのであれば、御父様が見ておられるものを我々が見ることができて当然ではないだろうか。御父様から放射される真の愛の光を我々が輝かすことができて当然ではないだろうか。張り詰められた雲海の上に太陽が輝いているように、閉ざされた地上に第三第四の太陽として我々が輝くなら、地上地獄は地上天国に様変わりし、天と地を隔てるものは意味をなさなくなる。

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