2009年10月16日金曜日

悲しい時こそ、辛い時こそ、より高次へ羽ばたく翼が用意される時だろう。悲しみの感情の中に、辛い思いの中に、醜い本性や不信への誘惑が入り乱れ、その中へと引きずり込まれそうになる。お前はやはり偽りの愛により生を受けた悪魔の子だと、内側から囁き続ける存在が自分の中に居座っている。目の前にある物を地に叩きつければ清々するぞと焚きつける。血気の許すままに毒気を口に任せて吐き出せと指図する。誰でもいい。誰でもいいから思い切りこの自分を叩きのめして欲しい。そして悪魔に鷲掴みにされたこの魂を奮い立たせて欲しい。そして耐えるのだ。悪魔にそそのかされる衝動をひたすら抑えて耐えるのだ。耐えて耐えて耐え抜いて、頭を落とし膝を抱え、打ち震えながらも胸を掻き毟って忍耐する。そして天を仰ぐのだ。視線を天の彼方に向けるのだ。視線の先にこそ魂の自由になれる領域がある。悲しみや惨めさを翼に変えることで羽ばたける。耐え抜いたことで膂力が備わる。そうしてひとたび地を蹴ると、視線の先の領域から光が届けられる。自分の悲しみが天の悲しみに変えられ、惨めさは敬虔を供えた謙虚に変わる。それらが翼を更に大きく、更に力強くする。もはや地獄から伸びるあらゆる醜い誘惑の手は光の中を飛翔する自分には届かない。魂の自由の領域こそ故郷と呼べる領域に違いない。御父母様をいつまでも慕い、御父母様にどこまでも侍りぬいて、魂の自由なる故郷に向けて羽ばたく。精誠を尽くしながら、御父母様も通過された苦難の路程の一つでも通過することで、涙に濡れた心情の一つ一つを伝授される。受ける父母の心情のひとつひとつが通過点となりながら、魂の自由なる領域に大きく羽ばたいていく。

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