2009年10月30日金曜日

今日の想い 114

他人の放った言葉で自分を責め、み言にも裁かれ、信仰を実らせることができず取り返せない流れてしまった時を羨み、だから自分はこうなんだと現状の問題一つ一つを取り上げて自分自身を恨む。もはや神様に自分はどうしてこんな状態なのでしょうかと談判する意志も起こさず、ひたすら背を丸め日の当たらない隅に身を寄せながら、捨て去られた自分という独房に自分自身を押し込めて、何重にも鍵をかける。何とかその場から引き出そうと、良かれと思い声をかけても、どうしてこんな自分に更なる罵声を浴びせるのかと、恨めしい視線を投げかけながら更に自分の中に閉じ篭る。誰もあなたを裁くことはできないし裁いてもいない。自分に脱落者の烙印を押し続ける存在を神様と思っているけれど、それは偽りのあなたがそうしているだけで、偽りのあなたを本当の自分だと後生大切に囲って拝んでいるだけなのだ。悪魔の声らしく届かない悪魔の声を自分の叫びだと思わされ、自分を否み卑下することを謙虚と捉えているあなたは、明らかに自分を貶めている。自分を貶めることで神様を貶めている。その感情の位置は今までに何度も何度も自分を追い遣った自分の逃げ場所。そこに逃げ込むことで自分を否み卑下することに悪酔いしている。重油のような否定的感情に浸かりこみ、色とも言えぬ暗い色に魂を染めながら、感情は重くなって波打つこともしない。軽やかな、喜怒哀楽が溢れて踊る、遠い昔のあなたの魂を、瀬戸内の海に光たちが戯れるようなあなたの魂を、取り戻せるまでどれくらい掛かるのだろうか。私を責めてそれで取り戻せるのならどのようにでもしてくれればいい。しかしそれでもあなたは私を責めずに自分を責め続ける。

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