2011年9月1日木曜日

今日の想い 363

サタン世界の歴史は怨恨の歴史であって、私が末尾にいる血統の因縁は流された恨みの血で血塗られている。血統という言葉を聞いて何の感情も覚えないなら霊性は閉ざされたままだ。ありとあらゆる恨みの感情が毒々しい血の色となって私に迫ってくる。この恨みを清算して洗い清めることがどれほど難しいだろうか。ましてや絡まり血塗られた怨恨の人類歴史、血統因縁の全ての歴史を解かなければならない御父様の心はどれほどだろうか。私達は無邪気に御父様、御父様と慕っているつもりでいるけれど、御父母様の前に孝行を立てようと思うなら、この清算を私が背負いますと覚悟しなければならない。積年の恨みがこの身体の血肉となっていることを見通せないなら、清算の意味もわかるはずがない。何もわからない者達を抱えながらも摂理に責任を持たれる御父様であり、だから孤独な御父様でもある。日本の警官に引きちぎられて死んでいった柳寛順を日本人と結婚させるほどの御父様だ。御父様が言われる怨讐を愛するという基準がどれほどのものかが伺える。いつまでも無邪気なままでは御父様の足手まといにしかならず、体が引き裂かれ、心が引き裂かれても御父様に従い、御父様が踏み締めてこられた愛の道を、犠牲の道を私も行くと決意しなければならない。死んでこそ生きる道が開けることを多くの食口はわかっているはずだ。御父様の路程がそうであるように、何度も何度も死の谷間に飛び込みながら次なる生きる道を切り開いていく。血塗られたこの血統はこの私が処断し私が清算する。その意味での氏族メシヤであって私が逃げているうちは血統的救いはない。

0 件のコメント: