2011年9月13日火曜日

秋夕

三日三晩続いたこの長雨は、秋の季節を司る霊によってもたらされたものだ。夏の季節を司る霊が早々に去っても夏の匂いが残り、しばらく夏の大気は動かずに腰を据えていたけれど、ハリケーンが広範囲に大気を掻き回すと、秋の霊はすかさず入り込んできて秋色に染める下ごしらえに余念がない。皆の顔が曇って嫌気がさし始めた頃に三日も続いた雨がやっと止むと、なるほど見事に大気は乾き雲は遠く高く退いて、地上の空間は大きく広げられている。透明度の高い大気を伝わり、太陽光は七色の光そのままを地表に届け、気の早い木々の葉は既に色付き始めている。今日も朝の六時過ぎには店に向かったけれども、一頃は明るくなっていたこの時間帯が未だに影絵のようだ。天と地の区別はつくが地上はまだ仄暗い。西の空に目をやると木立の向こうに月が浮いている。ひと際大きな円周をはっきりと描いて煌々と輝いている。満ちた月を目にして秋夕が近いことにやっと気が付いた。中秋の名月と言える月の光を受け取り、内面に届く言葉を私は期待している。太陽の言葉が届き、月の言葉が届き、星の言葉が届いているけれど、霊性が頼りなくてその場で受け取れずにいる私がいる。それでも受け取った印象を何度も何度も咀嚼していると、かすかな言葉が印象から響く時がある。それが明日かもしれないし、もっと遠い未来かも知れない。それでも印象としてはっきりと私の内面に納めていて、或るときその印象が言葉を発する。この月の印象も私の内面に届けて、丁寧に引き出しに納めている。太陽も月も星も、太古の史実や知恵を語ってくれる。特に秋夕の月は、その光の印象に先祖が送られてきて、先祖が届けて伝えたい多くの話が語られる。

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