2011年9月5日月曜日

レーバーデイ

レーバーデイ、日本で言う勤労感謝の日だ。レーバーデイは9月の第一月曜日で、アメリカ人は夏を惜しむように、このロングウィークエンドで今年の夏最後の休暇を過す。この休みが終わるとバケーション気分を切り替えて、仕事モードや学業モードに入っていく。この休みに息子にどうするのかメッセージを送ったが、それには返答してこなかった。いつものように朝早く、店に行って仕事をしていると、妻から電話があった。息子が帰って来て寝てると言う。夜行バスで帰ってきて、私が朝出掛けるときにはもう着いていたらしい。私が店で一仕事終えて帰ってもまだ寝ていたが、遅い昼飯の呼びかけにやっと起き出してきて、サプライズだと言って笑顔を見せてくれた。勤め始めてまだ二ヶ月だし、忙しい時期で夜11時頃まで連日働いているのを知っていたので、相当疲れているだろうと思ったが、思いのほか結構元気そうだった。でもそれは親を心配させまいと振舞った事だったのかも知れない。いつも言葉だけは母を気遣い、父に遠慮した物言いをしていたからおそらくそうだろう。土曜の朝帰ってきて明くる日曜にはもう行くというので、家族四人で外食に出掛けた。私を除いてみんな少食なので残すだろうとは思ったが、それでもしっかり注文した。親として何もしてやれなかったことが負債となり、いつも穴埋めしようとしてこうなる。献身生活していた頃、数年を置いて一晩だけ顔を見せに田舎に帰ったことがある。たった一晩だけなのに親は町まで御馳走を買ってきて用意し、着る物がないだろうからと下着やらセーターやら買っておいて待っていた。話したい事も山ほどあったろうに、何も言わずテレビの音でぎこちなさを紛らわして、コタツを囲んで黙々と御馳走を食べた。家族で一緒に食べると、その時のことを思い出す。何とも言えない、明日には捨てるように出て行くしかない親への申し訳なさを思い出す。注文した料理も結局は残り、もったいないので自分の腹に詰めてしまう。心は満たされないのに体はこうしてまた太っていくらしい。DCのキャピトルの近くからバスが出るというので、夕方そこまで送っていった。出たときはまだ明るかったが直ぐにも暮れて暗くなる。日が暮れるのがめっきり早くなった。暗くなってから送り出すとどうも気が沈んで、高速バスの停留所までの半時間、一言二言のどうでもいい言葉しか掛けてやれなかった。停留所に着くと息子はシートベルトを外して勢いよくドアを開け、一言、じゃ、と言って小走りに乗客の群れの中に消えていってしまった。

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