2011年9月14日水曜日

十周年

あの9.11から既に10年が経った。その日、ツインタワーとペンタゴンの自爆テロ、それからペンシルバニアの飛行機墜落と、この三つ巴の状況を、ラジオもテレビも交替々々に延々と流し続けていた。ワシントン行政地域に広範囲に管制がひかれ、一度は中心地区に流れていった通勤の車の流れもUターンを余儀なくされて、朝のうちにも車は逆流するという、可笑しな現象が起こった。その流れが一段落した後は、店の前の大通りはクリスマスの日のように閑散としてしまった。こんな状況で店に食事に来る客などいないどころか、外を見渡しても人っ子一人歩いてはいなかった。隣の店の従業員がたまに外に出て様子を伺っているだけだ。これが世界が終わる日の幕開けであって、一瞬で戦時下となってしまったアメリカが、昨日までの明るいアメリカを取り戻すのに相当の期間を要するのだろうという、そんな暗い気分に一時でも誰もが沈んでいた。しかし人間は慣れる生き物だ。慣れて自分の生活に没頭する生き物だ。ランチこそ客は入らなかったが、ディナー帯にはそれなりに客が入ってきて、店は普段と何ら変わらない雰囲気を取り戻した。客の話題はおそらくそういったものだったろうけれど、店には明るいBGMも流れているし、楽しそうな会話だって聞こえていた。郊外と言っても、車で半時間も走ればテロが起こったペンタゴンの現場に着く。そんな目と鼻の先のことであっても自分の時間は好きに過ごす。これからアメリカも世界もどうなるかわからない。経済の破綻なのか地震などの物理的なものなのか、或いはそれに続く社会の混乱が起きるのか、何かはわからないが国を揺るがし世界を揺るがす何かが起ころうとしている。しかし何が起ころうとも人間は慣れてしまうのだろう。慣れて日常の生活感情に没っしてしまうのだろう。そう言えば御父様が収監された時もそうで、明日向かわれると言う時には食口の誰もが大きな衝撃だったけれど、それさえもひと月も経てば慣れてしまう。御父様は収監されておられるのに、指して特別な感情を抱き続ける訳でもなく、日常に埋もれたまま一年はあっという間に過ぎ去った。御父様に取って収監の一日一日がどれほど長いか、一年がどれほど長いかは考えもせずに、、、。私は何と勝手気儘な存在だろうかと思う。自分のことばかりに汲々としながら、精誠を供えるのはそのうちにと思いながら、無駄に貴重な時間を浪費し尽くして、来るべき重大な局面でやっと目覚めるのだろう。

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