2011年9月26日月曜日

霊界の言葉

霊界からのメッセージを読めば、霧が晴れるように霊界について見えてくる。その一つに並み居る聖賢達のメッセージに共通して言えることがある。生前の彼らの歩みに対する反省と悔い改め、そして勝利された御父母様への感謝と賛美に満たされている。御父母様に対する証しのメッセージだから当然だろうと思うけれど、穿った見方をすれば、似たり寄ったりの文章は誰にでも書けるような内容で、さして霊界を確証させるほどの目新しい事柄は見えないと、本当に聖賢たちの言葉なのかどうか疑いの心を抱く兄弟も中にはいるはずだ。霊界の聖賢たちの想いを地上の言葉に置き換えるからそうならざるを得ないのであって、地上の言葉表現の限界はどうにもしようがない。霊界は心情世界であり、霊界の言葉は感嘆表現だと言っていい。地上では感嘆表現を言葉にすれば限られてしまうが、霊界ではありとあらゆる感嘆表現に満ちている。或る意味、どれだけ深い感謝の地上生活をしたか、すなわちどれだけ感嘆するほどの体験をたくさん積んでいるかが霊界の位置を決め、高い霊界の表現方法ともなる。毎日が同じように流れ、見飽きた景色の中で生きているようだけれども、今日の一日は今日だけの一日であり、周囲の景色も目に写る輪郭と色彩だけを認識しているので、何ら代わり映えのしない景色としてしか捉えられない。事実は一日一日が番号をふられるのではなく、それぞれに名前を冠するほどの記念的一日であり、記念的一日の舞台環境として異なる景色が用意されている。今日には今日の発見して感嘆する物事に満ち満ちている。ポイントは機械的なものを中心とした生活から如何に心情的なものを中心とした生活に重心を移していくかだ。今日の一日がただ平穏に流れるのを願うのではなく、たとえ起伏が激しい一日であっても、心情的に受け取るものがあり与えるものがある、そんな感情溢れる生活を願うことだ。

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