2011年9月23日金曜日

感性を解放する

日が明けぬうちに外に出てみると、地上は靄に覆われている。街灯のオレンジ色を滲ませ、点滅する信号機の黄色を滲ませ、私も滲んで周囲に溶け出すようだ。靄で存在の明確な輪郭がぼかされると、個体液体気体の区別が曖昧な、地球生成の初期の状態に近くなる。勿論視覚的にのみ言えることであって、科学的知識に毒された感性では捉えることはできない。科学的知識を基とする現代人は、存在の背後から聞こえてくる霊的な声を聞き取ることはできない。私が靄の中に包まれていると言うことは、私は靄を呼吸しているとも言える。口で呼吸し、肌でも呼吸している。存在を呼吸すれば霊も呼吸している。大気の底で生温かい靄に心魂を委ねると、即ち霊で呼吸すると、地球生成の初期に関わった霊の存在が語りかけてくる。心魂の混沌状態から、思考を際立たせ、感情を際立たせ、意志を持つ魂としての人間創造に関わった人格の霊が語りかけてくる。まだ日が明けぬうちの靄に煙る景色は混沌状態だ。そこに光を割り込ませ熱を届けると、視界は徐々に晴れてくる。思考的な気体と、感情的な液体と、意志としての個体に明確に分けられていく。だから地上存在である被造物には思考も感情も意志も見てとれる。人格神の神様の思考が気体に流れ、感情が液体に流れ、意志が個体に込められている。私は或る存在の気体様相に波長を合わせるとその存在特有の思考を受け取り、液体様相に波長を合わせるとその感情を受け取り、個体様相に波長を合わせるとその意志を受け取る。霊的感性を得て、被造物に関わる霊達の叡智を受け取るためには、科学的な見方に限定され、押し込められた私の感性を解放しなければならない。

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