2011年9月7日水曜日

困難を前にしたときに

私のなかに、何の感情も、何のみ言葉の働きかけも発動しない、貯め置かれて淀んだ腐れ水の状態がたまにある。そういう時は必ず何かが起こり、何かの形で上を下に、下を上に内面をかき回されて厭が上にも感情の嵐に翻弄される。アメリカ東海岸を北上したハリケーン・アイリーンのように、日本列島を時間をかけて横切って行った台風12号のように、淀んだ生命を、淀んだ心魂を暴風圏に巻き込んで混乱させる。だれも暴風圏に留まりたいとは思わないけれど、逃げずにしっかりと向き合うことが私自身の清めとなり、新生を促す蘇生の力が暴風圏に晒されることで芽生える。だから困難な度合いが大きければ大きいほど、謙虚と感謝の度合いもより大きくし、その位置で気持ちよいほどに打ちのめされればそれでいい。吐き切った肺に新鮮な空気が一気に入り込んで充満されるように、何もなくなった真空状態に思いもよらない蘇生力が満たされていく。ドラマの演出のやり方を見ていると、困難な状況にひとしきり翻弄されて、主役の内面に甘受し、整理し、立ち向かう姿勢が用意されていく過程ではよくBGMが流される。BGMが流されることで主役の内面の様子を描くだけでなく、内面に働きかけるものをも見る者に伝えようとしている。楽曲の響きが内面への働きを表すように、私が困難を甘受し、整理し、立ち向かう姿勢を用意する時には、霊的楽曲を紡いで天に届けている。私達は、まるで一大交響曲を紡いで天に差出す作業を、生涯を通して為しているようなものだ。地上の一つの楽曲は限定的で、流れるときだけ共感を与えて癒したり力付けたりするけれど、紡いだ霊的な響きや楽曲は永続的力を備えた共感であり霊界に偏在している。今では私達の精誠の天への響きが、どれほど神様を慰めることができ、神様の生きる糧となることか。御父母様が勝利されたことで、地で精誠を供えればその霊的響きは直接天に届く。だから普通の人間なら避けること逃げることに汲々としているけれど、御父様の息子娘を自負するならば、困難に対してよく訪ねて下さいましたと礼を言い、感謝を持って引き受ける。

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