2011年9月12日月曜日

エデンの園

善悪知るの木の実を何か口にするものだという理解が間違っていると言うように、エデンの園を地上の楽園のような場所としてのみ理解することも間違っている。善悪の実がエバの生殖器であると言うのは原理を知るものであれば理解しているけれど、では追放されたエデンの園とは何なのかと問うと、復帰された地上だとか罪のない地上天国だとかエデンの園を場所の概念として捉えている。そういう捉え方も間違っているとは言えないが、御父様はどう説明しておられるのかと言うと、エデンの園とは男性と女性の二人が一つになった愛の体がエデンの園であると説明しておられる。愛の体は愛の器官をもって一つになる。アダムとエバはこの器官を間違って使い、愛の器官は地に堕ち地獄の底に留まってしまった。この器官が正しく復帰されない限り、男性と女性は正しく会えず、正しく一つになることはできない。神様はこの器官の為に天地創造なされたのであり、この器官は愛の王宮、生命の王宮、血統の王宮、良心の王宮であって根本だ。それを誤って使ったことにより、神様の恨、人類の恨、万物の恨が生じて全てが嘆息のなかにあるようになってしまった。天使長もエバもアダムも、この器官を自分のものだと考えて堕落してしまったが、この器官の主人は自分ではなく神様だと言うことだ。私達は祝福家庭であれば堕落の痕跡は夫婦の間にないという気分で暮らしているけれど、どれほど仲睦ましくてもあくまで復帰の途上であって、神様公認のサタンの試練を通過しないかぎり自分は認めても天地は公認しない。どれほど地上で節操を守っているとしても、見えないし意識もしない霊的世界では淫らなあらゆることを行っている。現に死の門を潜って霊界に旅立つとき、欲界を通過しなければならない。地上で意識下において衝動欲求していたことが、現実に目の前に偽りのエデンの園として現れる。男性であれば美しい女性が現れて服を脱ぎ、その器官に触れてくる。見目麗しい裸の女性達が戯れる男性天国に迷い込む。その試練の場でその器官が誘いに応じて動じるなら通過して天国に行くことはできないだろう。御父様は家庭的楽園が生じざるを得ないと話されている。試験をパスできないので、霊界で夫婦の間で暮らすにも問題が大きいからだ。祝福家庭であれば、外的地上的には原理がわかっているのでそういう環境圏は遠ざけようとするが、内的霊的には衝動要求がそのまま現れる。それが霊界だ。淫らな思いをもって見るなら即アウトの世界だ。決められた一人の女性とだけ、外的には勿論、内的霊的にも一つになることで、私の天と私の地は一つになるだろう。一つになった愛の体であり、一つになった天地であり、その場に神様は臨在されて、神様と一つになり、神様と一緒に暮らすエデンの園となるだろう。

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