2011年9月3日土曜日

精誠

汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために、、、。私の内容にも外的な結果にも、実りと言えるものが見出せなくて、苦労してきたことが無駄だったのだろうかという思いと、苦労の貯め桶はいまだ溢れるに至らずその結果を見るにはさらなる苦労が必要だという思いと、二つの間を揺れ動きながら、隊列から遅れようとも辛うじて御父様について行く自分を絞り出している。果たすべき積み上げられた重責を前にすると、歯痒くも情けない自分の姿に打ちのめされ、立ちあがる力もなく地にへたり込みそうになる。へたり込んでしまえばますます隊列から遅れて行くだろう。汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために。ただこの言葉だけを何度も何度も力なく心に繰り返しながら、また立ち上がろうとする。地の力が強すぎて私の霊は地に縛り付けられる。手も重く足も重く、体が重くて思考も感情も意志も金縛りにあったようだ。この重い体が恨めしくとも、それでもこの肉体を切り離すことはできない。この肉体をもって地上のみ旨を果たさなければならない。重い十字架を背負い、ゴルゴダの丘への道をイエス様が進まれるとき、イエス様の心中はどうだったのだろうか。重い足取りで、苦脳を表情に滲ませながら、希望の光の糸口だけでも見出しておられたのだろうか。重い体に占領された、私のみ旨に向かう魂は、どんなことがあってもこの呪縛から解放されなければならない。十字架を超えられて、霊的希望を見出されて、地上復活の摂理が展開されたように、この重い体を引きずってでもゴルゴダの丘に到達できれば、必ずや新たな視野が丘の上から望まれるだろう。イエス様がサタンに身体を引き渡すことで霊的救いを勝ち得たように、私の霊が諦めさえしなければ私を中心とする救いの摂理は奪われることはない。この手が千切れ、この足がもぎ取られても、救いの希望は未来に、次なる代に繋げられていく。汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために、、、。み旨に向かう心が汗を流しているか。み旨に向かう心が涙を流しているか。さらにみ旨に向かう心が血を流さなければ私を地に縛り付けるサタンはその手を緩めることはない。引き摺りながら踏み出す、この僅か一歩の精誠であっても、全生命をかける。

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