2011年9月4日日曜日
霊という言葉を理解する (2)
創造原理には、生霊体を完成した人間が地上天国を実現して生活したのち、肉身を脱いで霊人として行って生活する所が、すなわち天上天国である。それゆえに、地上天国が先に実現したのち、初めて天上天国も実現できるのである、とある。本来は、地上が完全に整備されて、地上における天国が実現してから霊界も整備され、天上天国が実現されると言うのが原理の教科書通りなのだろう。しかし祝福家庭が御父母様とひとつになることができず、先ず興進様が昇華された。そして霊界におられる興進様に祝福権限を移譲されて、霊界にいる先祖たちの祝福が始められた。十四代の祝福だったものが二十一代に増やされ、そして今は二百十代を遡る先祖を祝福するよう指示を出されている。本来は興進様が昇華される必要も無かったし、清平の摂理も必要なかった。しかし地上の摂理、特に祝福家庭を中心とする摂理が祝福家庭の度重なる失敗で、結果として今の摂理事情となっている。後が先になり先が後になる複雑な事情の中で、絶対服従の基準とひとつになって御父様にしがみついて行かなければ、思考にも感情気分にも、しがみ付く手を振り払おうとする見えない力が働いて、気付いた時にはみ旨の願いから遠ざかりベクトルが違う方向に向いていたりする。祝福を受けて幸せな家庭を築いたからと言って、その位置に留まったままで負債を覚えないかどうかは、各自の良心が一番よくわかっているだろう。御父様が真の家庭を犠牲にされて摂理を進めておられるように、私の家庭を犠牲にしてでも祖国創建を願い、アベルUNとカインUNの一体化を願って与えられたみ旨に邁進しなければならない。祝福を受けて祝福家庭を築けなかったら祝福は流れるように、国基準の祝福を受け入籍しながら祖国創建が果たせなかったら祝福は流れてしまう。祝福は次元を上げてこそ、展開されてこそ祝福であり、囲い込み個人執着的な祝福の捉え方はもはや祝福とは言えない。祝福の形骸にしがみ付いて満足していては本当の祝福の実は実らない。霊を見届けて捉えることを忘れ、一般の宗教で得られる心の平安で満足しようとする心魂のステージに自分を貶めている。統一教会が神霊協会であることを忘れようとしている。
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