2011年10月21日金曜日

侍る姿勢

今のアメリカの事業体は内部問題をもろに被って、組織も組織に所属する個人も決して健康的な状態ではない。今の部署は書類上の繋がりはないから自分は部外者と言えないこともないが、かつて組織の意識圏内に属していた立場で今は関係ありませんとは言えない。いや部外者であればこそ、所属して内部からは見えないこともできないことも、外部からの働きかけでできる可能性はある。その外的な内容に関しては触れることはできないが、今は部外者と言う立場であってもこの事業体と共にアメリカでの年数を重ねてきた訳で、多大な内外の恩恵に与った恩を忘れずに働きかけていくべきだ。組織であるから特に中心者からの影響と恩恵は大きかった。何度か入れ替わりがあった中でも或るひとりの中心者に対して私は深く尊敬していた。それぞれの中心者にはそれぞれの持ち味があったけれど、初めて韓国人として立たれたこの中心者は、所属する多くが日本人であるこの組織に旋風を巻き起こし新たな息吹を吹き込まれた。会議の席で激しい感情が口に出たり、右に左に翻弄されることも多々あったが、そのみ旨に対する真摯な姿勢に傲慢な私も自然と頭が下がった。底辺の現場への想いも深く、その染み出るような心情に熱いものが込み上げてきたのは私ひとりではないはずだ。特筆すべきは御父様に対されるときの姿勢だ。殆どの責任者は御父様に指示を出されたとき、本人が納得いくいかないは別として早々に受けて引き下がるが、この中心者は違った。相手が御父様であろうとも納得がいくまで食い下がり、お互いが口角泡を飛ばすという場面もあった。この中心者から本当の侍る姿勢とは何かを教わった。或る時、御食事の要請があり食事の席に御父様とこの責任者がおられた。御父様に敬拝を捧げて引こうとすると呼び止められ、御父様の前で厳しく咎められた。提供に粗相があったのかと思ったが、そうではなくて挨拶に言葉が少ないのを責めておられる様子だった。口を開くのさえ畏れ多いと思っていたからなるべく目立たず近寄らずという思いがあった。しかし指摘されて気付いたのは、確かに御父様と口にする以上僕ではなく子供の立場であって、親に接するのに逃げるようにして挨拶を捧げるのは非礼でもある。敢えて御父様の前で咎めながら、しかししっかりと店の歩みも紹介していただいて、御父様の顔も立てながら私を御父様に橋渡しもして下さった。弁も立って知恵も回り、上背もあって顔立ちも良く、この方の全てを相続したいと心の底から思わされた。

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