2011年10月5日水曜日
今日の想い 365
今朝は久しぶりに晴れ渡り、昇る太陽が屋内に光を届ける。長い期間雨雲が空を覆っていたから気付かなかったけれど、知らないうちに太陽の昇る位置が随分南下している。夏の間は朝日であっても強い日差しを屋内に届けていたが、今日の日差しは明らかに柔らかく、手のひらを宛がうと表面が暖かなオレンジ色に滲む。主体から対象へ一方的に流れて届けられるときは、対象は受け身に徹して、受け取った真価を差出すことはない。しかし主体が対象から受け取る美を期待し始めると、対象は主体から受け取った真価を差出そうとする。夏の太陽の日差しのように、惜しげもなく一方的に愛し続けられ、与え続けられ、話し続けられる御父様であって、何の見返りも、そして成長した姿を私達に要求されることもなくここまで来たけれど、秋の彩(いろどり)や実りを万物が差出すように、御父様の子としての受け取った真価を差出す収穫の秋の時期にきている。結果を出すべきだという外的実績主義を貫き、使命感を全面に押し出してここまで来たには来たが、勿論それが間違いだったと言うのではなく、その条件を取っていただく事で内的霊的な実りを差し出す時期にきている。私達は今こそみ言葉とひとつになって内的霊的実りを差し出すべきだ。短期の実績に追われて来たから内的霊的なみ言葉とひとつになることを結果的に疎かにしてきて、語られるみ言葉の殆どが理解不能であることに何の焦りも覚えず、その状態を当たり前としている。訓読を通しながら霊人達と真摯に内的霊的交流をし、問いかけもし答えを導き出すこともする、そんな神霊溢れる統一人になるべきだ。今日の朝日を受けながらも、み言葉の愛の真理に貫かれた霊的活動を見出して熱い感嘆の声のひとつも挙げることができないなら、私は未だにみ言葉の本質のかけらも受け取れずに眠りに着いたままでいる。もし私の内面に、この身体を破裂させるほどの爆発的な熱いものを発生させることができれば、私は明らかに神様にとって無視できない存在になるだろう。
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