2011年10月13日木曜日

妻との一こま

坂になっていると言われてそうかなと思うくらいで、殆ど平地に近い。月に一度の妻の血液検査の為に、ボルティモアのダウンタウンにあるメディカルセンターに行ってきた。パーキングのビルから採血オフィスまでは少し歩く。その短い傾斜のある道のりが彼女にはどうも苦痛らしい。強度の慢性貧血の為、上り坂だとか上りの階段とかとなると途端に足が重くなる。なるべく妻に歩調を合わせて配慮を見せようと努力しているつもりだけれど、あまりのカタツムリ歩行についつい言わなくていいことまで口にしてしまう。向かいから手押し車によっかかって足を進めている小柄な老婦人を見ながら、あれが必要だなと小声で言ってしまった。口にして即座に後悔した。案の定、妻はその言葉には敢えて反応を示さず、黙ったままだ。一瞬に垣間見た横顔が強張っているように見える。採血を終えるのを待ってオフィスを出ると、妻より先に歩を進めた。幾らか負債はあったが、こんな状況で並んで歩くのはやはり苦痛だった。しかしそのとき、彼女は予期しない行動を取った。駆け寄ってきて私の腕を掴むと、これくらいなら着いて歩けると、快活な声を背中にかけてきた。不意を突かれた驚きに戸惑いながらも、やはりありがたかった。自分に非があることは十分わかっていて、それでも謝らないだろうから暫く口をきかないことも覚悟していた。いつもは気恥ずかしくて手でも繋いでこようものなら即座に払うけれど、駐車場までの短い距離を腕を組んだように歩いた。その間、道行く人たちの視線が集中しているようで、不覚にも私の顔は上気してしまった。短い距離が随分長く感じられた。今の時世、アメリカのみならず日本だって老いも若きも腕ぐらい組んで歩くだろう。別に珍しくも何ともない。しかし自分がとなると、明治から平成の空間へ突然時間移動したようにうろたえた。私に取って一大変革の趣があった。誰にも言えず抱え込んでいた罪を告白したときのように、異なる空気を呼吸しているような新鮮な気持ちと、消え入りたい気持ちとが混在する不思議な空間だった。今にも降りそうな空模様なのに、何故かその空間は晴れ渡っていて、あの祝福式の、妻が手を私の腕に添えた時の空間と重複した。素直でない私はそれでも妻に一言いわずにはいられない。いい年して恥ずかしいだろう。

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