2012年4月14日土曜日

世界を制する為には

確かなビジョンがあると言うことは、創造の八割方がなされたと言っていいだろう。ビジネスではビジョンという言葉をよく使う。しかしビジョンを持てと号令をかけられても、或いはビジョンを持ちたいと思っても、それでビジョンが何も無いところから靄ができて次第にはっきりと形となって現れるような、そんな仕方で浮んでくる訳ではない。確かに熱というか、新しいものへの衝動に突き動かされる状態がビジョンの出発点ではあるだろう。その衝動的な熱が起こりうる状態とはどういう状態か。ビジネスに携わってきた経験上、満足している安定的状況に於いて新しいものへの追求は先ず起こらない。安定期にありながら更に発展的な要素を含んでいて右肩上がりなのは、安定期以前に於いて起こした推進力が惰性的に残っているからだ。しかし遠からず推進力は消え失せて下降線を辿るようになる。下降線を辿り始めてもぬるま湯につかったカエル状態で、下降がなだらかな間は安定的状況だと判断してしまい危機感を感じることはない。潰れる殆どの会社が、さして危機感を覚えることも無く、仕方がないと言いいながら潰れていく。事業を立ち上げた初代は、立ち上げるときの苦労話には尽きないものだが、立ち上げに苦労は必要だと言うのは少し違う。必要なのは苦労ではなく、苦労をものともしない立ち上げへの熱量だろう。ビジョンと言っていいものかどうかは分からないが、生活に困窮する家族が好きなだけ御馳走を頬張る幸せビジョンをありありと描いていて、それが事業立ち上げへの熱量を放出したということだ。今の御時世、食うものには困らないし特別贅沢をしたい訳でもない。経済は明らかに下降線を辿っているけれども安定期が長すぎた為に危機感を覚えないでいる。誰もが、そして多くの会社がぬるま湯状態にある。経済だけではなく、社会が、今の時代そのものがぬるま湯状態と言っていいだろう。そのうちに身を置けないほど煮えたぎる状況を迎える。危機意識をどれだけ発動したかによって、次なる新時代のビジョンが描かれる。危機意識を発動する為には、或る程度の危機状況に陥らなければ危機意識の呼び水にはならない。私の意識が、自分や家庭のこと、ビジネスを取り巻く周辺のことに留まる限り、ぬるま湯がどう変化していくのかを察知することはできない。世界に、宇宙に、私の意識を届けることができて、世界的危機意識、宇宙的危機意識は発動されてそれに耐えうる新しいビジョンが描かれる。ようするにより公的意識に立つものが新しい時代のビジョンを描く。