2012年4月20日金曜日

今日の想い 396

霊界を知るとは、死の向こうにある未知なる世界へ踏み込むことだ。論理的に霊界が存在することを理解したとしても、それで霊界を信じることは出来ても知ることにはならない。信じることから知ることへと踏み込むためには、感情の混沌に入っていくことを迫られる。感情を平安に保ったままで霊界に踏み込めるとは思わないほうがいい。地上という感覚世界は、感覚の背後の世界を知らなくても感覚に没頭して生きることができる。地上では全てが明らかなような気分でいるけれど、実は感覚だけに没頭しているだけのことで何も知らない。全ては闇の中だ。光も色彩も音もメロディーも触感も、感覚に没頭している以上すべて霊的には闇の中だ。外界である感覚世界に没頭するのではなく、私の内なる内界に意識を突っ込み、外界から受け取るものがどう内界の建立に関与させるかを意識しなければならない。感覚の背後に流れる、或いは感覚を通して働く多様な愛こそが私の内界を創り上げる。勿論愛することを学ばなければ愛は受け取れない。感覚に没頭する感覚存在ではなく、感覚を超えた愛に目覚め愛の存在とならなければならない。霊界は荒涼広漠とした深い夜の世界であり、堕落存在が存在できるのは地獄でしかなかった。イエス様が霊的救いをもたらすことでイエス様に繋がった聖徒達は楽園に存在できる。そうして真の父母による霊肉の救いを受けた食口は地上で天国建設を為すとともに霊界に於ける天国建設を為している。霊界に踏み込み、感情の混沌の中にどこまでも沈んでいけば地獄を見るだろう。混沌の中からイエス様がもたらした愛としての霊的光を拠り所に昇れば楽園を見るだろう。更に、真の父母によってもたらされた真の愛が霊界の太陽として燦々と輝く場所は天国だ。混沌の中をどう通り抜けて行くかは愛の階級に振り分けられたそれぞれの存在の愛の力に拠っている。