2012年4月24日火曜日

死生決断

確かに、かつてない混乱状況にあるのは誰もが認識している。そして様々な情報が溢れ返り、様々な意見が飛び交い、皆が混沌の中に投げ込まれる。ひとつの方向性だけに流れていて、その流れに逆らわずに身を任せていれば、自動的に目的地に連れて行ってもらえると思っていたはずだ。黙することが、意志を見せないことが、流れに任せるには好都合だったが、今のこの状況にあってもその態度を変えようとはしない。多くの兄弟達のなかに未だにそれが伺える。しかし今の今、はっきりとした意志を差し出さなければ信仰を失うことになるだろう。自分は戦は好まないとか、どちらも真の愛で抱擁しなければとか、あたかもそれが信仰者のあるべき姿と言わんばかりに当たらず触らずの生温い位置に居続ける。御父様が宣布文まで出されてはっきりと線を引かれた以上、どっちつかずの者も反逆者と変わらない。混乱の行く末を傍観していれば、サタンと神の戦いを傍観しているのと同じことだ。そういう者は自分の内なる戦いも傍観している。自分の心と体の戦いを傍観しサタンに妥協している。そういう者は永遠に御父様の理想のビジョンを見ることはないだろう。真の愛とは全く関係がない。先ず自分自身にはっきりと御父様に従う太い意志を備えるべきだ。その意志の柱を立てて、その柱に従い行けばいい。柱も立たずに、判断情報を集めるだけ集めながら、自分の取るべき行動を値踏みするなら、この方はメシヤだろうか、信じるに値する人だろうかと値踏みしているこの世の者達と何ら変わりはない。自分は死生をかけて御父様に従う成約聖徒だと言うなら、如何なる局面でもそれを貫き通すべきだ。モーセ路程で火の柱、雲の柱が出エジプトを導いたように、私の出エジプトは内面に於いて繰り広げられている。絶対信仰、絶対服従こそ私の火の柱、雲の柱だ。柱が立った者に御父様は現れ共に歩まれる。