2012年4月10日火曜日

今日の想い 392

私に取って世間が問題にしている御父様や教会の事が事実がどうかと言うのはある意味どうでもいい。どうでもいいと言い放ったら逃げ腰だとか言動に責任を取らない卑怯者だとかあらゆる雑言の嵐となるが、事実がどうかと言う地上的なことは私の心魂に大きな波風を立てることはない。外的地上的なことがどうでもいい、と言っているのではなく、私の現実は私の内面の動向により左右されていて、事の事実をはっきりさせたり突きつけられること以上にそちらの方が現実味を帯びており関心事だ。御父様や御家庭の過去の事実だとか、教会の非社会的な事だとかが大きな関心事のようだが、そんな事に意識を使ってられない近い未来を目の前にしている。霊界と地上界がひとつになる。それがどういうことなのかは既に述べてきた。それを一言で述べるとするなら、霊的知や無知の度合いによるけれど内面の狂気の世界が訪れると言うことだ。スウェーデンボルグは霊界を探訪して記しているけれど、霊界を証しする使命を受けた立場で超法規的に護られて霊界に参入している。しかし霊界と地上界がひとつになるとき、霊的に護られると思わないほうがいい。霊界法則、霊界事情に尽く万人が影響を受ける。思い描けば即そのイメージを食(は)む霊が押し寄せる。私の正体が何者かでそれに相対する霊が群がる。群がる悪霊雑霊の類に心魂は辟易するだろう。食口ですら私の言動が世迷言のように思えて受け付けない者が多いけれど、D-DAYを越してどうなっていくか皆が検証して見ればいい。霊界を見せられたというのは私でさえその言葉通りには信じられないが、霊界を感じて恐ろしかったという体験を持っている人は私の言葉を理解できるはずだ。祝福を通し、今までの御父様との内外の出会いを通し、戴いて成長させ訓練もしてきた分霊として備わった神霊が、私の中でその光を放ちその力を発揮するのを見るだろう。絶対信仰、絶対愛、絶対服従でしか私の柱としての神霊は支えられない。