2012年4月28日土曜日

今日の想い 397

復帰歴史は再創造歴史であり、創造は数理が根本にあるように復帰歴史は数理を復帰する歴史でもある。全ての存在が隠れている存在法則に従って存在しており、法則は数理によって組み立てられている。堕落によって奪われてしまった3数、4数、12数、21数、40数などの数を復帰する為に歴史は流れてきたが、それはそれぞれの数理の完成実体となるべき本然人間から数理未完成体の堕落人間になってしまったからだ。堕落人間は、本然の人間とはどういう存在かと聞かれて人格完成、愛の完成をイメージするが、それは間違いではないけれども時に抽象的であり捉えどころがない。しかし堕落人間と本然の人間の決定的な違いは、本然の人間は数理の完成実体であるということだ。堕落人間にとっての数理は思考活動に於いて限られた加減乗除を為す程度であるけれど、霊的高みまで人間存在の柱が届いていれば、神様の数理を思考にも感情にも意志にも直接受け取れるように思える。数理の話をされる時の御父様を見ていれば、そんなイメージを受け取れる。堕落によって加減乗除が現れたと言われて呆気にとられるしかない私だが、私自身も復帰の歩みを為している以上、数理を復帰する歩みでもある。条件や儀式に於いてだけ数理に関わっているようだが、家庭的四位基台で4数を復帰し三対象で3数を復帰していると言うように、或いは氏族復帰で先ず3人を立て12人に増やすと言うように、もっと数理に対して意識的であれば勝利の公式が見えてくるのかも知れない。

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