2012年4月28日土曜日

今日の想い 398

血統を210代まで遡って、現代人と同じような姿をその先祖にも見るとは思わないほうがいい。さらに人間の地上的な意識が、現代ほどに目覚めていたとも思わない方がいい。しかし歴史を遡るにつれ、意識の光はより霊的なものに向いていて、アトランティス以前の古代に於いては地上よりは霊界の現実感の方がより大きかった。勿論、地球の在り様も現代と太古では異なり、その時代の人間の意識状態と連動して大気の様子も海や陸の様子も異なっていたはずだ。外的唯物的思考では決してイメージできるものではない。ノアの話も、アベルカインの話も、人類始祖アダムエバの話も、現代の外的唯物的思考だけによって表象しようとしても無理な相談だ。無理強いして限られた自分のイメージ力で勝手に表象したことを、辻褄が合わないと持ち出してもどうしようもない。意識が霊界をとらえられない者は、現代が唯物的思考であり、自分の心魂もそれに毒されていることがわかっていない。宗教も信仰も、唯物的な偏った宗教観であり信仰観になりやすく、それは霊界に根付いてはいない。誰か特定されてそういう状態にあると言うのではなく、誰もがそういう状態になりやすい。現代の一般的な意識状態が既に唯物的だからだ。霊界を信じる者も、霊的現象として何か普通ではない非日常的なものを想像して期待するが、それもまた唯物的な捉え方だ。それを期待している以上霊界は正しく認識されることはない。私達が受け取る外界の事物や動きは結果であるが、結果に対する背後の原因に意識の光を当てようとすれば見えてくるものがある。あたかも相手の表情から内面の動きを見たり、動作からその人の内面の性向が伺えることと同じだ。ノアも、アベルカインも、アダムエバも、事実であるけれども現代的な結果事実ではなく現代人が表象できない、敢えて言えば太古の原因事実だ。

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