2012年4月16日月曜日

或る若い日本料理人

理論的な真理を知らない者であっても、人間が精神的存在であると認識し、人間進化への追求を意志している人もこの世にはいると言うことを知って救われた気がした。それも日本人であり、更に料理人だ。宗教でもなければ哲学でもない、料理を通して人間である自分の精神性を認識し、人間である自分の進化を追及している。私もレストランをやっているから料理は身近な行為だが、彼の料理への真摯な態度を見せられて、私はあまりにも自分を恥ずかしく思った。料理に携わっていると気軽に口にしていた自分に負債さえ覚えた。それ程に彼の料理に対する態度は敬虔と言えるほどであり、霊的高みへ飛翔しようとする意志を見る。一度は真理に触れ霊性を受け取りながらも、時間が経つうちに肉体生活に埋没してしまった者達。彼らは表面的地上的な認識に堕してしまって真理に対する信憑性を疑い始める。真理に問題があるのではなく己の地に堕ちた認識に問題があるのに、それを認めようとしない。そんな者達は彼の爪の垢でも煎じて飲むべきだ。どれ程の霊的背後からの応援があって原理の御言葉に触れ、御父様との因縁を持ち得たか。そして一度はみ旨の道を志すほどでありながら躓いてしまった者達。躓いたのが小石であれ岩であれ、それは言い訳であって躓いた体にして自分の翼を折ってしまった。ルーシェルのように霊的高みに飛翔できる翼を己で折ってしまった。テレビで放送されたのでネットで探せばその番組を見つけることが出来るだろう。敢えて名前や番組名は控えるけれども直ぐに割り出せるはずだ。絶望的だと思った日本の心魂だが、本来悟るべき宗教人の中に見出せなかったものが、思いもしなかった分野で息衝いている。神様は真に神秘的な方法で人間進化を準備される。