2013年9月18日水曜日

今日の想い 627

死守すべきは絶対性であり、あらゆる感覚的誘惑から絶対性を守らなければならない。しかしそれは、感覚的なものから自分を隔離することではない。性の要求を中心としてみた場合、宗教は否定して否定して、ひたすら否定することで感覚世界を越えた精神的満足を追求してきた。しかし科学は逆にひたすら肯定することで感覚世界への満足を追求してきた。衣食住を満足させ、さらに感覚的満足を満たしてくれる現代文化は、科学の発展なしにはあり得ないし、科学の発展の動機の中には、性への要求を満たしたい衝動が見えない深みで働いている。英雄色を好むと言うけれど、英雄に限らず殆どの一財をなした人物には、色への強い衝動が動機の中にある。インターネットがここまで発達した背景にも色への要求が大きく影響している。宗教一辺倒でもない科学一辺倒でもない、宗教と科学をひとつにして理想世界の実現を標榜するのが私達のスタンスではあるけれども、それをただ漠然と捉えていてもひとつにする何の力も及ぼさないだろう。押し寄せる感覚的誘惑を否定し、ひたすら抗う一生を送るとしても、それでみ旨への貢献を認められるかというとそれはないはずで、み旨の為にはこの世を屈服させる環境要件も私達には願われている。この世を屈服させる為には地位名誉財産といった外的に見上げるものも必要であり、外的に見上げるものを得ようとすれば感覚的なものへの要求をどう自分の中で発動させるかだ。感覚的誘惑にはまらずに感覚的要求をどう発動させるかだ。教会の食口は良くも悪くも欲が無い。欲が無ければ地位名誉財産とは無縁だ。万物の木の前でひたすらお願いするなら、自分の中に万物への追及欲が出ることを先ずお願いすべきだ。欲のない意識状態を変えずに一攫千金が舞い込むなどと思わない方がいい。個性完成は地位名誉欲が関わり、子女繁殖は性欲が関わり、万物主管は財欲が関わっている。それらの欲をどう主管して感覚的誘惑にはまらずに感覚的要求を発動させ、三大祝福を全うする力とするかが問われている。欲がない人間になることが願われているのではなく、欲は持つべきであり、それをどう主管するかが問われている。性の要求を中心としてみた場合、否定しブレーキをかけることも勿論必要だが、その衝動をどうみ旨に活かせるかを問うのはそれ以上に大切だ。

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