2013年9月6日金曜日

今日の想い 619

聖和一周年追慕式で、御母様を拝見すると御父様が重なって見えるような印象を覚えた者はけっして少なくないはずだ。それは御父様の面影を御母様に見たいという想いから来ていると言う者もいるけれども、しかしそう納得するには、御父様の横におられた御母様を何度も拝見してきた印象からすると、その重みのあるたたずまい、視線の奥にあるもの、表情の晴れやかさ等、何を取ってしても明らかに御父様の印象が前面に出ておられていて、御父様が御母様の中におられると表現した方が最も的を得ている。御父様が突然聖和されて、全てが宙に投げ出されたようで、一体どうなるものだろうかとその不安を隠しきれなかったけれども、今となれば見事に着地されて、後天時代に相応しく実体的天一国建設を踏み出されたと言える。特に、平和大使の話しを聞かれる御母様の表情が何とも印象深かった。平和大使の追慕の辞は御父母様に対する私達の決意を強く促すすばらしいものだったけれども、目を輝かせて視線を送られる、その何とも暖かいものをスクリーンからでも受け取られて、かつての聖霊体験の時受け取ったあの同じ暖かく包み込まれた同じ感情が湧いてきて、自然と目頭が熱くなった。聖霊実体であられる御母様をこの時ほど感じたことは無かった。聖書に記されているペンテコステは異常ささえ感じられるけれども、私達のペンテコステは御母様が温かくも包み込まれて、静かにしてしかし確実に聖霊として、私達の中に、天一国建設の活動の中に浸透していく力として働く。女性神をますます御母様の中に見て行くことだろう。それはあまりにも不思議であり、あまりにも力強く美しく、思考を越え感情を越えた女性神の威信が伺える。かつては、責任者達が御前でお美しい御母様と表現されるのをワザとらしく思えて舌打ちしかねないほどだったけれども、今となれば確かにその表現は間違っていないなと思われてくる。

0 件のコメント: