2013年9月11日水曜日

今日の想い 623

霊的堕落と肉的堕落、霊的堕落はルーシェルとエバとの関係による堕落であり、肉的堕落はエバとアダムの関係による堕落だ。霊的堕落に関しては動機や経路が事細かに説明されていて、霊的なことは不案内であっても理解はできる。しかし肉的堕落に関しては事細かにと言えるほどの状況説明がない。個人的感覚としては随分簡単にエバの言いなりになったアダムの稚拙ささえ伺えるようだ。先の投稿で振れた「み言の証」の中に堕落の経路について説明された御父様の御話が載っている。そこには、エバがアダムのところに行って一緒に食べようと言ったが、アダムは神様が取って食べるなと言われたとエバの誘いを拒否した。(どれくらい拒否したかは言及されていない) しかしエバがしつこくねだりせがむので、「えーい、勝手にしろ」と言って体を投げ出した、とある。原理講論にはない、その時のアダムの感情が伺える御父様の貴重な御話ではあるが、しかしそれでも、アダムの、謂わば単純細胞的な軽さが(男性本能的軽さが、)肉的堕落には想像されてどうも合点がいかない。更に言うと、アダムがもし堕落しないで最後まで拒んだなら、エバはその場で復帰することができたとまで話されている。それほど重要な判断を要する場面で、「えーい、勝手にしろ」とは何とも短絡的で嘆かわしい限りだと思えて仕方が無い。アダムも誘惑されて堕落したので同罪であるように思えるが、時ならぬ時の行為であってももともとエバはアダムの相対の位置に立つべきであったので、肉的堕落にのみ関係したアダムよりは霊的堕落に関係したエバの方が罪が大きいと説明できるけれども、心情という観点からしてエバの方がアダムよりも神様の心情を痛めた、蹂躙したということだと思う。単純にアダムよりはエバへの思い入れの方がより大きかったのだと思う。堕落論によって原罪は明確に説明されたけれども、その詳細に関しては益々疑問が増える。それは霊的内容を地上的に理解しようとする無理から来るものなのか、「み言の証」で付け加えられて説明されているように語られていない詳細の部分が残されているからなのか、その両方なのかもわからない。天使長は霊的存在であるけれども、霊的堕落の事実が証明しているように、男性の位置で女性のエバと関係が持てるように創造されている。天使世界には男性性しか創造されなかったのはどういう理由からなのか、人間との霊的堕落の可能性を持つ天使創造がどうして為されたのか、聞きたいことは山ほどあるのだけれども御父様はおられない。「み言の証」のような、先輩家庭の先生達の証しは本当に貴重だ。

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