2013年9月20日金曜日

今日の想い 630

御父母様を片時も離さずしっかりと引き付けて歩むべきだ。罪意識故に距離を置いたり、或いは御父母様のツバキ圏内では翻弄されるからとわざわざ距離を置いたり、み旨を歩みながらも意識の隅に持ち続けていた習慣的なマイナス感情が邪魔をして、後天時代に入っても相変わらず距離を置いている。それは御父母様と心情の因縁を結ぶことにはならない。御父母様との距離を感ぜずにはおれないとしても、距離を置いた位置で仕方なく安住するのではなく、御父母様の関心事を敢えて創り出してでも、御父母様を私に近付ける意志を強くしなければならない。今日の一日、片時も御父母様を忘れずに、語りかけもし聞き耳を立てながら歩んできただろうか。一日の全ての体験が、御父様の心情を尋ねる意識の量りにかけられただろうか。何一つ偶然的な出会いはなく、何一つ意味なく御父様との関係性のない出来事はない。習慣的な一日のサイクルであっても、それはリズムが同じなだけであって体験は全く異なる。何を学ばせようとしているのか、何の意味があるのか、掴み取りたい一心で噛み付かんばかりに御父母様を引き付けるべきだ。祈祷も習慣的惰性的であるなら、そんな適当な祈祷を立ててわざわざ御父様への意志を力ないものに括るべきではない。生活即祈祷生活であるべきで、御父母様を片時も離さずしっかりと引き付けて尋ねる姿勢は祈祷そのものだ。祭壇の御前の祈祷は総括祈祷であって、総括祈祷は祈祷生活あってのことだろう。来る日も来る日も、御父母様を片時も離さず引き付けて歩めば、御父様の心情の欠片のひとつでも差し出されないことがあるだろうか。求める者には応えなければならない親としての道理は、御父母様が最も熟知しておられるはずだ。

0 件のコメント: