2014年1月23日木曜日
今日の想い 693 夜の神様、昼の神様
御父様の、夜の神様、昼の神様という概念は通常の一般認識では描けない概念であり、私達の意識圏を包み込む無限大無尽蔵の無意識圏を想定することで成り立つであろう概念と言える。私達は起きて覚醒している意識的活動と共に、寝て霊界の深みに自己を委ねる無意識的活動がある。要するに昼の私と夜の私だ。人間は霊的感性を失い霊的無知に陥ったために心魂の奥にあると言うか、越えると言うか、その領域に関しては殆ど無知だ。よって昼の私は認識できても夜の私は認識できない。夜の私は昼の私が体を休めているだけだと信じている。私という存在に対する認識も昼の認識、意識圏に限定されたものだから、昼の神様という概念は描けるとしても夜の神様の概念や関係性は描けない。私達は人類始祖の堕落という問題を神と天使長ルーシェルと人間という関係性からのみ捉えて理解しているけれども、地上世界の三角関係のように同じ次元に存在する三者の同じ次元での関係性とは言えず、神は創造主、ルーシェルと人間は被造存在、更にルーシェルは神によって創造された存在でありながら神と共に被造世界を創造した位置であり、無意識圏の複雑極まりない多次元に渡っている堕落の包括的内容を私達は殆ど理解してはいない。食口の意識的理解で納得していた立場からすれば、夜の神様、昼の神様という概念は創造以前の神様と創造を始められた以降の神様と認識する以外ないだろう。そうすると堕落も夜の神様ではなく、昼の神様が関与しているとして辻褄が合う。以前以降としなければハナニムではなくトゥルニムになってしまうけれども、しかしそこからは善悪の可能性を内包された神様ということを否定できない。意識圏で認識している昼の私を存在させている無意識圏の夜の私が活動している。存在という言葉は意識圏での概念として理解しているために敢えて夜の私は存在しているのではなく活動していると説明した方が誤解を防げる。私という存在がそうであるように、昼の神様を存在させている夜の神様が活動している。私が私という存在を客観的に見て是正する私が活動するように、神様が昼の神様を是正する夜の神様が活動している。私達は夜の神様、昼の神様をどう理解するかを問題にする以上に、御父様が夜の神様という概念を差し出されたことが、私達が次元を飛び越えて、より包括的な位置で大きく復帰に拍車をかけることができる神霊を地上に降ろして下さったアセンション祝福だという喜びを差し出せば、悟性的理解は後からついてくる。イエス様も、勝利された再臨のメシヤである御父様も、文明に夜の神様から送られてきた。
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