2014年1月2日木曜日
天運を得て新年を迎える
私は、私の中のサタンを知っている。私の中の恐れと不安こそ居座るサタンのひとつの表れだ。この恐れと不安がみ旨へと駆り立てる私を阻害している。この恐れが砕け散り、抱えているものを奪われたくないという執着から解放される瞬間もあるにはあるが、台風一過となり試練を一山越えてしまうと、居心地良かった堕落的平安に落ち着こうとする自分がいる。その自分は明らかに主体の位置で開拓する私ではなく、既に存在する基盤におもねるという、対象の位置で安らごうとする私だ。既に存在する基盤は多分に堕落的だ。私達は地上という現実の中に存在しているのであって、そうであれば堕落社会で培われた存在基盤に既に立っている。しかし私が御父様と一つになり、主体の位置で堕落社会に対するなら、そして堕落社会が対象の位置で主体の為に存在するなら、堕落社会は私を通して神様に繋がる活路を得る。個人にしろ家庭にしろ、国家にしろ世界にしろ、八段階として上っていく各段階で堕落社会と関係している。しかしどの段階に於いても私は堕落社会におもねることなく、主体の位置で神側に引き込んでいく私になることで、私は地上に於ける願いを全うしていく。だから私は堕落社会や文化におもねっているのか、或いは主体の位置で引き込もうとしているのか、そこに私が神様に属する者なのかサタンに属する者なのかの一線を引いている。私の中の恐れや不安は堕落的平安におもねるサタン的感情だ。私はその感情を捨て去ってこそ、新たな次元に於ける出発の為の祭壇を築いたことになる。正直な事を言えば、今のビジネス形態、店の在り様では周りにおされてしまって先が見えないところまで来てしまった。平安の場所が脅かされ尻に火がついた状態だ。もっと早くに事に対するべきが延ばされ延ばされ、そこが私の堕落人間の堕落人間たる所以だ。しかし何事に於いても時がある。いい時があり悪い時もある。今のこの時こそ天運が共にある絶好の機会であるという運勢の匂いがする。この時を逃さず、一気呵成にやり遂げれば、私も店も全体も、新しい次元に乗り移れる。
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