2014年1月24日金曜日

今日の想い 694

私という存在に夜の神様の系統に由来する私があり、昼の神様の系統に由来する私もある。無意識の部分も含めて私の自己存在のすべては根源の夜の神様に由来しているが、けれども私が意識圏に於いて通常の意識が見ているものは、夜の神様の思考内容に過ぎない昼の神様の系統に由来している。しかし本来立つべき昼の神様が地上に立たなかったので通常の意識が見ているものは堕落的本性ルーシェルにほぼ由来している。(イエス様の霊的勝利圏は確かに意識圏に影を落としている。) 私はというと思考しているし、思考するということは思考内容を産み出してはいる訳だけれども、その思考内容はそのまま現実化することはない。しかし根源の夜の神様は、思考することは即ち実体存在を産み出すことで、産み出した実体存在を通して御自身の姿を見ている。ちょうど私が私の思考を通して私自身を認識しているように、夜の神様は思考内容として産み出した昼の神様を通して神御自身を認識している。夜の神様と昼の神様の相克は、産み出した本性達を飛び越えて真の愛の完全対象として人間が創造され、人間に全ての主管性を与えようとされたことからくるルーシェルの愛の反乱をして起こってしまった。産み出された本性のうち知恵の王者であった天使長ルーシェルの誤算は、昼の神様を相手にしてはいても夜の神様の思惑までにはその知恵が届かなかったことだ。意識圏は完全にルーシェルの主管に置かれこの世の神となったが、夜の神様は意識圏にメシヤを送られた。イエス様も、御父様も、夜の神様の神的本性として堕落と関係のない位置からこの地上に来られている。意識圏に取ってのメシヤの意味は、剣を投げ込む為に来たという表現にあるように、停滞して留まろうとするルーシェル本性(堕落性本性)を受け継いでいる私達は戦いを自覚するようになる。しかし戦う事によって神様に由来する私が夜の神様から遣わされたメシヤに接木して戴いた創造本性を啓発していく。ルーシェルの過ちは、彼が神様の真の愛の展開と実体化に拍車をかけて貢献すべき位置であるのに、敢えて停滞して留まろうとしたという事も出来る。要するに神の願いに立って己を引き上げようとはしなかった。御父様が摂理の展開に拍車をかけられるのに、私達が御父様に着いて行こうとすれば愛され導かれた過去の私、或いはルーシェルの偽りの愛に温存されていた私が自分の中にいて足を引っ張る。御父様に似る者となって与えて与えて与え尽くすべき位置を離れ、慰められ、もてなされ、温存される自分への執着心から停滞して留まろうとする。私達は常にルーシェルが犯した過ちを繰り返す危険性を秘めている。自由性と主管性を与えられた者としての危険性だ。しかし真の父母として勝利され、天宙に立たれた御父母様であられ、勝利圏を私達に相続され、さらに堕落以前、さらに戒めを与える以前の位置まで引き上げて下さった祝福の恩恵は地上を主管して余りある。勿論私達の意識圏に割り込ませて感染させるには私達の責任分担という課題はあるが、地上と霊界の境界、意識圏と無意識圏の境界は益々狭まり、私達は意識圏の大転換が可能になっている。真の父母という概念、さらに夜の神様という概念が地上という意識圏に現れたこと自体が天宙的奇跡だ。

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