2014年1月5日日曜日

霊連世協会として立つ為に

注目すべきは誰が世界を制するか、誰が天宙を制するかだ。教会とグループ派との戦いが法廷を中心として繰り広げられてきたけれども、既に戦いの場は次元を上げている。彼らにすれば裁判所の棄却に喜び、風向きが彼らの優勢になびいたかのように安堵しているけれども、この世の決定事項が他次元にわたる霊界に上告されれば彼らの論理は通用しない。通用しないどころか存在基盤さへも否定されかねない。霊的無知な彼らはその恐ろしさを未だ知らずにいる。御父様は霊界の各次元に於いて勝利宣言をされている。地上に於いてその都度その都度為されてきた勝利宣言が一体何なのか、本当の意味で理解するには至っていない食口達だ。それは霊界がわからないからわかりようがない。現実を見れば、世界どころか国さへも復帰されず、一人、また一人と未だに伝道しなければならない状況であって、そのどこが勝利なのかわからないだろう。この法廷闘争も、彼らの霊的無知、御父様の勝利基盤がわかっていないが故の彼らの行動から引っ張り出されたのであって、意識世界に於いては教会側もグループ派もさして変わりは無いのかも知れない。しかし本当の裁きは法廷ではなく霊界で為される。私たちの意識世界がすべてだと思って生きているが、膨大で荒涼たる無意識世界のごくごく一部に意識世界は存在している。今、地上界と霊界がひとつになったという感覚があるだろうか。霊界が近くなった、その位の感覚は食口なら誰にでもあるのかも知れないが、やはり依然として地上界は地上界であり、相も変わらず地道に伝道する以外ないと誰もが思っている。それでは一体誰が世界を制するのか、誰が天宙を制するのか。私達は主体の位置で権限をもっていると言いながら、やはり一人一人伝道しながら夢物語のように世界復帰の話をし、天宙復帰の話をし続けるのか。意識世界を制するのは依然として堕落世界の旧態依然たる国であり、権力を手中にしている組織だ。彼らが持っている地上権限を奪えないなら、法廷で教会が勝訴しようが敗訴しようがどうなるものでもない。霊界を完全に把握されておられる御父様が地上権限を誰に与えられるのだろうか。霊連世協会が中心となると語られているように教会が霊界と肉界を連結した位置に立たなければ教会が霊連世協会とはならない。霊界を連結させる為に天理と天道によって摂理を進めなければならないのであり、教会が別れたのは分別の為だと認識すべきでこの問題を曖昧にしてお茶を濁すに留まるべきではない。この問題を曖昧にすれば教会は更なる分別を迫られる。それは本当に生きるか死ぬかの分別になるやも知れないし、徹底的に教会からサタンを排して天宙の中心に立てようとされる。即ち、霊連世協会を立てようとされる。教会内からサタンが完全にいなくなって、そうして始めて世界を制する者が教会内から出る。或いは教会によって権限を与えられた者が世界を制する。一人一人を伝道する為に精誠を供えていく。それは勿論大切なことで否定されるものではない。しかし一方で地上世界の権限を持っているトップから変えていく意識は我々には必要ないのかと言うと、今はその気概を持つ意識が教会内に育たないと言った方が的を得ている。教会責任者はこの裁判問題の事実を食口に対して口籠るべきではない。食口を本当に愛するなら、そして信頼するなら、更に世界を制する気概を持った食口に育てる為にも口籠るべきではない。

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