2014年1月16日木曜日

本当の私は後追いでやってくる

復帰摂理歴史からみれば、先ずカイン圏が現れてきて、それから遅れを取ってアベル圏が現れることがわかる。カイン(長兄)が先でありアベル(次兄)が後だ。復帰摂理に於いてサタンが先行して原理型の非原理世界をつくり、遅れをとって神の原理世界がそれに取って代わる。人間個人に於いても現実というカイン的私があって、より神の理想に立つアベル的私が後を追う。そうしてアベル的私が主体となってカイン的私を引っ張っていくのでなければ私に対する復帰は何処までも延期されることになる。現実は堕落性のありふれた私であるけれども、少しでも堕落性のない、より神の理想に立つ私を追いかけながら生きている。現実の私は内的霊的無知の立場であり、現実という飲まざるを得ない苦い薬に顔を背けて苦しくジタバタするけれども、より内的霊的無知を克服した将来の私はその良薬の意味を知り、より神の理想の私に近い立場に立つ。本当の私は現実に立つ今の私ではなく、将来の私こそ本当の私だという見地に立てば、理想が現実を引き上げる私になれる。現実を甘受しながらも理想に目を輝かせる私になれる。そういう意味でも常に理想を仰ぎ見る私達にならなければならず、私達はその完全な理想の姿を御父様という存在で示されていて、御父様を手放さない限り神の理想に向かっている。現実を悲観する私に留まる限り、私に希望はない。現実がどうあれ、理想を追い求める私を諦めない限り私は神と共にある。本当の私は後追いでやってくる。今の私はみ言葉がわかっていない。内的霊的無知だ。しかしみ言葉を受肉し無知を克服した私は確実に後追いでやってくる。現実と理想の大きな乖離に溜息のつく思いだけれども、神様から与えられている理想に向かう私の心魂の奇跡的力を思い知るときが来る。必ず来る。本当の私は後追いでやってくる。

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