2014年1月26日日曜日

今日の想い 696

冷たい朝の凛とした空間がいい。窓ガラスを隔てて外の景色を見れば、静かで穏やかな風景がそこにある。でも外に出てその風景の中に足を踏み入れ景色の中に入ってしまうと、突然、氷点下の大気が私の中に侵入してきて、奪われていく体温を喰い止めようと意識はそこに集中する。静かで穏やかな風景であった自然が、もの言わぬ冷たい透明な女と化して私を抱擁する。暫くは抗うが、温存していた体温の半分でも分け与えてしまえば、女は耳元に唇を近付け、囁くように冷たい世界の真実をひとつふたつと曝け出す。冷たい世界は思考の世界。感情は氷漬けにされて停止しても、思考は冷たい空間でこそ生き生きと活動し広がりを見せていく。自分は男だという観念があるから女に抱擁されたと思っているが、抱擁されたのは私の陰性の部分であって、そうなると実は女だと思っていたものは陽性存在なのかも知れない。私の陰性の部分が冷たい世界の存在と授受し、紡がれる思考はその産物だと思える。同じような体験は子供の頃にもある。中国山地の山間は意外と積雪量が多く、私が生まれ育った地域は特にそうで、豪雪の年には4メートルを超すほどだった。視界が遮られるほどに降る雪景色は灰色の世界だ。そして灰色の世界の中に佇んでいると雪女が立ち現われて私を抱擁する。その頃の私は何とも表現できない吐きそうな嫌気感が心を覆っていて、刻々と心魂が嫌気感で蝕まれていくのを覚えていた。蝕む音が次第に大きくなり、たまらなくなると外に飛び出す。そうして雪が降りしきる灰色の世界で雪女に抱かれる。体温は奪われるけれどもこの嫌気感も一緒に奪ってくれる。口は閉じたままで囁きのひとつも耳にしたことはなかったけれども、この田舎の自然である雪女の抱擁がなかったら私は遠の昔に朽ち果てている。雪降りしきる灰色の世界は懐かしいし、冬の冷たい朝の凛とした空間が今は好きだ。特に冬の朝の氷点下の空間がいい。現実に押し潰されそうになればなるほど、この空間に抱かれたいと思う。

0 件のコメント: