2007年2月28日水曜日

40修

ブラインドを通して明るい日差しが室内を暖める。この冬は暖冬かと思いきや、先月の半ばから一変して、清平の冬を思い起こさせる日々が続いてきたが二月も今日で最後、春の訪れは三月の声とともにやってくる。私が参加した清平40修はアメリカの責任者用としては最初のもので冬真っ只中で行われた。16時間のフライトから空港でバスに乗り換え更に数時間を掛ける。短い冬の日、暮れかけたころあいにアメリカの兄弟を乗せたバスはその地に着いた。人里離れた山あいを走るころにはさすがのアメリカンも不安の為か口を閉ざしていた。バスから降り立つと皆の顔が更に強張る。容赦ない湿った雪まじりの寒風が氷に覆われた湖の方から吹き付ける。揺れる裸電球の下を、うつむき加減に兄弟たちが足早にうごめいている。今まで味わったことのないこの空気を理解しようとするが、なんとも異様な別世界であることには違いない。乗り合わせた兄弟と顔を見合わせ、意味もなく無言で頷くしかない。どよめく祈祷、太鼓の鈍い音、山肌に並ぶ天幕の数々、東洋人の自分ですらいかがわしさを覚える。西洋の兄弟はなんと不安だったろう。そんな状態だから集中できるようになるまで丸一日を要したが、人間は慣れるものだということが解った。そして事は六日目の最後のセッションの後起こった。動悸の発作が起こり止まらない。今までもしょっちゅう動悸はしていた。大きいのになると胸が苦しくなる。脂汗が垂れる。うずくまる。しかし10分もすれば落ち着いていた。しかし今回は止まる気配がない。30分経った頃嫌な予感を感じた。そして大母様のおられる宿舎の戸を叩いた。苦しさの為というよりは死が胸をよぎりそこら辺で倒れる前に一声報告しておかないと大母様に迷惑がかかると言う思いがあった。状況を説明するとその場で横になり大母様と助手の方おふたりで按手をして頂いた。不思議とその時、動悸は一瞬にして収まったがしばらく為されるがままにされていた。その間は申し訳なくて身が縮む思いだった。丁重にお礼を申し上げ宿舎を後にした。ととたん嘘のように消えていた動悸がまた始まった。一瞬立ち止まったが踵を返す気持ちはなかった。自分で甘受すべきものとの意識があった。かろうじて自分のテントまで歩き足を踏み入れると皆は泥のように寝入っている。立って居場所を探すも苦しく這いずって自分の持ち物のある場所まで辿り着いた。動悸はいっそう激しさを増す。皆休んでいるのに申し訳ないと思いながらも、唸りとも喘ぎとも何とも言えない呻きを押さえることが出来ない。横になるも余計に苦しく猫背で座っているしかない。うるさいと言うようなサインが端々から送られてきたがどうしようもない。見るに見かねた一人の兄弟がずっと背をさすってくれた。苦しいながらも有難かった。この兄弟の為に何が出来るか気が遠くなりながら考えていた。しかし動悸は一向に治まらない。ここが自分の終の場所ですかと天に尋ね続けた。霊界に最も近い場所が自分の霊界への入り口なんだと自嘲のおもいがわいた。御心のままにと言う意思が固まった最後のもがきが襲ったとき事態は一変する。腹の中に殆ど水しかなかったが全てをもどした。と同時にどす黒い気体のようなものが口から出た。暗がりの中なので見れるはずもないがそう感じた。動悸は一瞬にして治まり身体はうそのように軽くなる。新しい生命要素が地から上から満たされて活力を得る。自分は生まれ変わったという喜びと感動に包まれた。時計に目をやる余裕を得、その時丁度五時をさしていた。その後の路程は本当に楽だった。日を追うごとに弱っていく兄弟とは反対だった。七日断食もうそのように快適で自分は新生させていただいたと言う喜びでいっぱいだった。それまで二年近くも続いていた血尿もピタッとやんだ。頂いた恵みに対して感謝の想いは勿論在るが、信仰もない条件もない自分がどうしてこれほどまでという疑問のほうが今でも大きい。しかし良き証しとしてこれで終わるわけではない。肉体的に癒されたのには意味がある。それは感謝すべき恵みに違いないが、魂の願う事柄は別にある。癒されたこの身体で様々なる感情の渦に放りこまれる。これが出発点だったのだ。それぞれの兄弟で状況も環境も違うとは思うが絵に描いたような祝福家庭や生活はないと思う。こんなはずじゃない、と言う所からが出発だ。私の立場では、自分が病で悶々とする以上の試練を相対の病を通して味わい子供を通して味わう。天国と平安は同義語ではない。生を通して味わう様々な苦しいほどの感情を媒介としながら自分と天との心情の共通点をいとおしい要素として自分の中に見出したとき、それは自分と神様の関係だけの愛の宝物となる。感情の混沌のなかに浮かぶ飛行船のかたちで、あるいは感情の荒波のなかにそっと浮かぶ小船のかたちで天に通ずる心情は隠されている。この世の人間にとって地獄の様相を見せれば見せるほどに天に通ずる心情の要素をより探し出すことが出来る。清平は天国に最も近い。

アセンション (次元上昇)

この世界で生きている以上、時間軸を無視することは出来ない。何にも左右されず規則正しく流れているように見える。しかし時間は流れているのではなく、その距離を縮めながらある一点に向かっているのだ。そして目的のその時は必ず来る。その時宇宙は大変革を遂げる。数え切れぬ星々を巻き込み地上界天上界を巻き込み時間軸空間軸を巻き込み宇宙は変容する。それが神様の摂理であり捉えようによれば天地創造の真の完成を意味する。そして最後でありまた最初であるその時は真の完成の為に引導を采配する真の父母が絶対的に必要であるのだ。み言葉に全ては記されているのだが我々の器と測りで、捉えはかろうとしても無理がある。霊性に目覚めない限り真の父母の絶対的価値は認識できない。み言葉の真の意味は理解できない。時が迫るに従い数を増してきた宣誓式宣布式、全てがその時を迎える為のなくてはならない布石であり采配である。そしてそれらは象徴的な内容ではなく具体的なる行動が伴うのだ。宇宙的次元で手を加えられる。そしてその時がどのような時か。自分には解らない。想像を超える事態が発生することは明らかだが自分には解らない。今の時が仏教的に言えば弥勒菩薩の現われる時でありキリスト教的に言えば再臨の時であり精神世界的に言えばアセンションの時である。そしてそれら全ては真の父母の到来を意味する。来るべき時とは霊的な内容であるとの認識を多くの兄弟は持っている。しかし物理的なもの霊的なものは密接な関係にあるという以上に表裏一体である。あの世で起こることはこの世で起こり、この世で起こることはあの世で起こる。既に起こりつつあるのだが如何せん霊的感性の鈍い我々は認識できない。しかし臨界点に近づき始めると霊性のそれなりに強い人から、ただ事ではないことを認識し始める。経済システムを含むあらゆる人為的システムは意味を為さない。それらは既に悪によって汚染されたシステムだ。物の流れに金の流れに人の流れに悪なる霊的要素が含まれている。物と人の怨念でヘドが出るほどに地球は悪なる要素を抱えている。怨念霊と我欲で肥え太った人間は相当の覚悟をしないとこの時を迎えることは出来ない。今でこそ金銭は仲介物としての価値として天は認めている。如何に使うかで功を天に積むことは今なら出来る。しかしどれほど財を成そうが来るべきその時、すべては無価値であるどころか供えることが出来なかった恨みを代々残すことになる。そこを心配しての親心の表れが献金摂理、清平摂理であることを理解するなら供えることがどれほど感謝であるか。地獄も金次第というその口に忌まわしい物欲霊が取りつく。飛ぶ鳥に習い羽ばたく蝶に習い肉を削り身を軽くして大移動に望む。

2007年2月25日日曜日

ポイント制

一時、店でボーナスカードシステムを導入してみた。客の消費額に対してのポイント制である。ある一定額まで貯まるとそれに見合った割引や商品に交換するというものだ。システム機はそう安くも無かったが、実は一月も経たずにやめた。プラス要因よりはマイナス要因のほうがはるかに大きかったからだ。ポイント制はひとつの囲い込み戦略である。客の少しでも得をしたいというスケベ心を刺激してこの店への選択率を大きくする。そして他店への足をこちらの店に向ける。あるいは来店回数を増やす。開店当初の店であるなら客の動機付けとしてある程度意味を為すが常連客が五割を超えている状況では反って逆効果だ。今の常連客は安いから足を運んでいるのではないし、店として安さを売りにして客を呼び寄せているのでもない。商品、サービス、雰囲気それらをトータル的に客は判断して価値を認めこの店の暖簾をくぐる。しかしポイント制に客の意識を向けると来店動機をくるわせてしまう。おいしいから来てた客が或いはうちのサービスが好きで来てた客がその意識をポイント制というスケベ心にすりかえてしまう。客の頭の中にこのポイント制が組み込まれてしまうと、もう今までの客とは明らかに違う。店は雰囲気が重要な意味をなす。雰囲気のなかでもどういう種類の客が店の空間を満たしているかというのは更に重要な意味をなす。こぎれいな高級ファッションで身を包んだ客が多ければ客もそれに合わせようとする。安物漁りの客が多ければその類の客が増えていく。ポイント制が頭に組み込まれた客が多くなってくるとディール意識の強い値に厳しい客の雰囲気となり店のクラスは下がっていく。クラスを一度下げると元に戻すのは不可能に近い。売り上げが苦しくなるとバッフェスタイルに変える店があるが、売り上げが持ち直してもバッフェを止めるわけにはいかない。値打ち感で来ている客をサービスで来る客として宗旨変えを迫るわけにいかない。値は下げるものではなく上げるものである。値を下げることは価値を下げることを意味する。どうやって商品価値をあげるか、どうやってサービス価値をあげるかそういうアイデアが自分の知恵からはもう絞れないと白旗を上げる時、最後の最後の手段として閉店覚悟でやるのが値落としだ。ポイントシステムの機器だが一時眠ってはいたが今はギフトカード機として大きな働きをしている。ギフトサ-ティフィケットだと使用額によっては返金する必要があるがカードだと残った金額分は次回来店の折に使って頂ける。

感謝の意識

信仰生活は感謝の生活だという。しかし本当に感謝の生活を送っているだろうか。感謝すべき立場だとは思っているが感謝はしていない。信仰的に捉えるべきだと思っているが思っているだけでそれは信仰ではない。それでは如何にして感謝の想いを抱いて生活することが出来るか。日々の生活の中で毎日が全く同じように流れているという感覚は先天的感覚で、本来は毎日が全く違う一日であり数え切れないほどの恵みと喜びと感動を用意されているという感覚が自然に自分の中に見出されるはずだ。事実、多くの恵みや喜びが用意されているのだ。ただそれを実感できる感覚をもっていない、と言うより自分の感覚がそのようなものだという決め込みをしているから、敢えて恵みや喜びの要素を払いのけていると言ってもいい。毎日はこういうもの、自分の人生はこういうものと言う自分の主観でしか生きていない。そこでもう一度はじめの質問を考えてみる。如何にして感謝の想いを抱いて生活することが出来るか。それは感謝すべき事柄がどこにあるのか。一日の生活の中で意識的に探しながら生活する。生活はこういうものという、主観で動く無意識生活を決別して一瞬一瞬の恵みを数える意識生活に入る。全ての行動に愛の気持ちの念を植えつけて行動し、受けるもの受ける感情の中にどのような恵みが閉じ込められて届くのか全霊を研ぎ澄まして感じ取る。そういう生き方を選ぶとき自然と本質的存在の神様に対して有難い想いが自分の中に育っていく。それは自分の存在と周りに対する感じ方を根底から変えていく。今まで事在る事に従業員に対して日記なり雑記長なり毎日の出来事や学んだこと感じたことを書き出すことを奨励してきたが、あまりやっているようには見えない。書き出すことによって自分の内面が映し出され内的にどういう状況にあるか確認できる。最初はなんだっていい。書き出すことによって意識的にならざるを得ない。二度とない一日一日が過ぎ去って行くのに一年を振り返り十年を振り返り内なる魂の愛の分量が増えるのを確認できず、今までの歩みは何だったんだろうと隙間風が吹くようでは祝福を戴いた立場としてあまりにも寂しい、あまりにも申し訳ない。

2007年2月22日木曜日

メニューについて考える

メニューが多いほど顧客満足度を高めることが出来る、と考えるのは顧客の心理がわからない者の発想である。うちのフロアマネージャーも今でこそ私の考えることが理解できるようだが、しばらく前まで (今日も客がフライドライスはないのかと聞いてきたからフライドライスをメニューに入れるべきだ。)(日本人がくると必ずラーメンがあるか聞いてくる。ラーメンをメニューに入れよう。)事在る事にこんな感じだ。入ってきた客をひとりたりとも逃したくない、という気持ちはわからないではないがあれもこれもという下心は客には見え見えなのである。何でもありの店は山ほどある。たいていのチャイニーズ、韓国レストランは寿司バーを導入している。良くその手の店に行って見るが寿司バーが満席なのを見たためしがない。それどころか入っている寿司職人はたいてい手持ち無沙汰である。何でもありの店は客にとって何の思い入れもない特徴のない店、魅力のない店と映る。現実問題としてメニュー量を増やせば増えた分だけ集中力も分散される。日本でこのラーメン一本に賭けているという大将の思い入れの強い店がメニューが三品限りというのと同じで少ないほどいい。飲食店は掃いて捨てるほどあるのだから専門性がなくコンセプトを伝えられない店は生き残れない。コンセプトをメニューで表現しようとすればラインを広げずアイテムを深くする方向性に持っていくべきである。ラインとは例えば日本食でいうとすし、照り焼き、てんぷら、なべもの、麺といった区分けであり、アイテムの深さとなると寿司でいうと握りであるとかチラシであるとか巻きであるとかさらにいろんな巻きを追及していくとかということになる。うちの店にはラインとして寿司もあれば照り焼きもありさらにてんぷらすき焼きまである。はっきりいって多すぎる。ラインの幅が広いとそれに応じて従業員も増やす必要がある。20年以上もこのラインで営業していると変えることは出来ない。さらに多数客の日本レストランの位置づけが寿司、てんぷら、照り焼きなので、もし寿司だけに絞るとなると多数客の認識からずれてしまい寿司だけの店という新しいマーケットの開拓となる。日本と違いそこまでマーケットが成長しているとは思わない。とにかく周りに影響されて安易に増やしたり減らしたりするのではなく、メニューひとつひとつに思い入れが感じられるような内容にすべきだ。同じものでも器の選び方、盛り付け方、提供の仕方などによって全く違う印象を客は受ける。客の前に提供されたとき感動を覚えるか(愛を感じるか)、最初に口にしたとき客はうなづくか(愛を感じるか)、それがメニュー作成のあるべき姿勢だ。

2007年2月21日水曜日

ハンドルのあそびに学ぶ

ある年、氏族復帰の摂理でそれまでレストランに携わっていた多くの兄弟が国に帰ってしまった。50席に満たない小さな店を担当していたが、このしわ寄せは大きかった。ホールを除いて4人でプロダクトをこなしていたのが半分になる。募集しても誰もアプライしない。とりあえず身重の相対を使うしか方策はなかった。私がスシ担当、彼女がキッチン担当だ。臨月に入るとさすがに苦しそうで助っ人を上に懇願した。結局、生まれる一週間前まで一人でキッチンをやらせたことになる。小さな店だからと最初はたかをくくっていた。人件費がセーブできてかえっていい、ぐらいにしか思わなかった。しかしこなす量は別として仕事のプロセス量は大きい店も小さい店も変わりない。一日二日ぐらいなら何とでも出来るがこれを継続するというのは自分にも従業員にも店にも客にも無理を強いる。そしてこれが祟って自分は背中を痛めることになった。さらに従業員も仕事の多さと追いつかない準備で切れ始める。何事にも余裕というものは必要である。性も根も使い果たして明日への望みも余力も残っていないというのは責任ある者の状態ではない。特に従業員の仕事に対する余裕、時間に対する余裕、気持ちに対する余裕、(そして出来ればお金に対する余裕)は必要だ。ちょっと多いかなぐらいで丁度いい。全てにおいての余裕が売り上げ増しの期待に変わる。余裕が次なる発展の投資になる。

2007年2月20日火曜日

物に対する意識

収入をどうやって増やそうかを考える以上にどういうふうに支出するかの方がある意味より重要だ。仕事技能が高まってくるに従い収入が段々と増えてくる。そして収入に応じて使い方(支出)もより複雑になってゆく。その過程を通していかにマネージするかを学習する。しかしこのプロセスを略してある日突然急に収入が増えたとしても何にどう使えばいいか解らない。使い下手は経営(やり繰り)下手だ。貧乏人が急に宝くじに当り大金を手にするのと似ている。使い方の感覚が解らなくて三年も経たずに全部すってしまう。挙句に浪費癖が直らず借金地獄にはまる事になる。使い方によってお金(万物)が生きたり死んだり凶器になったりする。扶養制から給料制になった兄弟もこの傾向が強い。要するにやり繰りがまずいのだ。我が家もそうだが、もったいないという思いが強すぎて物を捨てられない兄弟が多い。家であれ部屋であれ空間は限られている。その空間をどう使うかなのだ。当の本人にすれば自分の手に一度は入ったものだからという執着がある。しかしその物自体が価値あるものとの見方は間違っている。使われて初めて価値が出てくるのであり、一年を通して一度出して見るか見ないかの物は当人にとっては殆ど無価値に等しい。捨てるのはもったいないというが私にすれば限られた使える空間をその物によって占領され無駄にしているほうが余程もったいない。使わない物、自分の意識の外にある物というのは滞ったエネルギーである。それ自体が息をしていない。早く処分して次なる物に変化させてあげたほうがその物の為でもある。人が住まなくなった家は三年も経たないうちに廃墟になるのと同じことだ。使わない物は死ぬ。自分がハンドルできる物と意識をかけることができる物だけにしたほうがいい。そういう物たちは活き活きしている。死んだ物で埋め尽くしていると新しい物が入ってくる余地はなく空気も霊気もよどんでくる。よって新しい運勢は回ってこない。

2007年2月16日金曜日

軍隊とヤクザ

高校を卒業する頃には教会に転がり込んでいた。だから信仰歴と俗に言われるものは長い。信仰歴と信仰深さは別だ。逆に長いほど信仰的ではなくなる、場合が多い。当時の純粋さを培養しながら今を迎えていればとも思うが、ある意味回り道したように見えるその心情の道のりが必要であったのだと思う。いろんな経験をさせていただいた。結構長い間籍を置いていたのがFと呼ばれる責任分担。その前後にも同じようなことは毎日のようにやっていたが、その三年余りの期間は集中してやっていた。実は集中してやっていたのは周りの兄弟で決意だ路程だと言われれば自分は醒めてしまう。というか圧倒されて怖気づいてしまう。特にK兄弟のもとでやっていた時は軍隊そのもので時代錯誤も甚だしく、その空間は完全にタイムスリップだ。何度罵声を浴びせられビンタを喰わされ尻をバットで叩かれたことか、あげくに他のメンバーが朝食をとっている間外に出され、朝もやのかかる住宅地のど真ん中で声の限りに叫ばされる。「(自分の名前)の馬鹿野郎!」何度も何度もだ。馬鹿になることと自己否定とは違うと思うのだが。その期間が自分にとってどう言う意味があったのかよくわからない。しかしその兄弟はそういった態度や行動を愛のひとつのかたちと捉えていたのだろう。活動自体あるいは(万物)復帰した結果そのものが条件であり価値があるという信仰観念が全体的にあった。だからどんな手段を取ってでもという思いがあったのだろう。自分はついていけなかった、しかし背を向けることも出来なかった。落ちこぼれれば祝福にありつけない。祝福願望のためひたすらしがみ付いていた。この人は善だこの人は悪だと決め付けることは出来ない。行動それ自体も善か悪かなど判断できない。同じ行動でも動機が善なら善としてのエネルギーが作り出され、動機が悪であればマイナスエネルギーが作り出される。兄弟がとった行動にも善としてのエネルギーが内包されている。受ける側が好きだ嫌いだ、善だ悪だと決め付けてしまうとその善としてのエネルギー(=愛)を受け取ることは出来ない。過ぎてみれば全て愛であった、と言う基準には自分の歩みは程遠い。Fの次にインパクトのあった責任分担は水産だ。軍隊生活をやっとおさらばしたと思ったら少し間を於いて今度はヤクザな道を歩むことになる。責任者はその筋の経験あり、という先輩だったからFとは別の意味で怖い思いをした。K兄弟の場合軍隊ごっこという感があったが、この先輩はどっぷり浸かっていただけあって半端じゃなかった。彼を中心にいつも張り詰めた緊張感でギシギシしていた。身体全体から滲み出る威圧感で体がこわばる。何か注意事を口にする前、一瞬の間があるのだが正に蛇に睨まれた蛙状態でその目力には特別のものがる。その先輩にとって任侠道そのものが信仰なのだ。いつもおどおどしていたがある日曜日、みんなでソフトボールをしたときその中心者を見る目が変わった。それなりに皆楽しんでいた。私はその先輩と同じチームだ。ある回、守りについた自分のところに打ったボールが飛んできた。それまで接戦状態だったのでこれがどうなるか皆が注目するなか、高く上げたグローブをすり抜け顔面に直接当たってしまった。強烈な痛みがその直後襲ったがそれよりそのドジに対する先輩の責めが怖かった。他のみんなもそれを予期していたと思う。みんな顔色を伺っていた。一瞬シンとはなったが先輩はそれを見て大声で笑い始めた。それに連れてみんなも笑い始めた。顔で受けるな。とか言いながらしばらく笑っていた。その回が終わるとき笑いながらお前大丈夫か?と一言やさしい笑顔で聞いてくれた。その時この先輩は本当に純粋なんだと思った。思いがけないやさしさだったのでそう思えたのかもしれない。でもこの人と共に歩んだらFの心情圏に入っていけるかも知れないと思った。他の中心者でこんな気持ちになったことはない。愛の群れの中にいて愛を見たことは他にない。人事になってからもその先輩のいろんな噂話を耳にすると他の兄弟が聞けば引いてしまうような話を、相変わらず熱い信仰を生きているなあとうれしく思う。

2007年2月15日木曜日

予知夢

小学校の四年生頃だったと思う。衝撃的な夢を二つ見た。普通の夢だと朝起きたときはおぼろげに覚えていたとしても朝飯を食う頃にはたいてい忘れている。しかしこの夢は三日三晩夢なのか現実なのか考えあぐねるほどに鮮明に脳裏に残った。五十を超えようとする今でもはっきり覚えている。ひとつはこの世界が生まれ変わったように全ての存在がキラキラ眩しく輝いている風景のなかでたたずんでいる。空の蒼さは喩えようもないほどに美しくどこか見通しのいい広場のような所にいるのだが、どういう訳かズボンを腰のほうまで捲り上げた状態で何かを整理しているようにも見える。腑に落ちないのは膝上あたりまで水に浸かっていて見渡すと地平一面水に浸かり、家や建物が壊されたような木切れが相当量水面に浮かんでいるのだ。水もキラキラと輝き水面を見ているだけで深い安らぎを覚える。まだ子供であったけれどもこの夢には未来に対する予知であることがはっきり解った。今ひとつは先の夢とは真反対の恐ろしい夢だ。星ひとつなく光のかけらもない暗黒の中で天を見上げている。闇に覆われた山々の裾野から宇宙船らしきものがゆっくりと姿を現してくる。いくつもの窓らしきものの中から光がもれその宇宙船の全体像が解るのだが、ちょうど未知との遭遇で見たようなとてつもない大きさの宇宙船だ。しかも一台に留まらずあらゆる形をした宇宙船がゆっくりではあるけれど次々と姿を現し、最終的に大空を埋め尽くすほどの船が現れてじっとしている。空の遥か彼方という風ではなく地上から差ほど高くない位置で窓の中の様子が見えるくらいの状況だ。このブログで哲学オタクのようなセンテンスを並べて来た。そしてここに至ってはやはりこの人間とは距離を置くべきだと思われるかもしれないが本当の話だ。朝目覚めても言いようのない恐怖が残り、それこそ三日三晩おびえ続けた。最近精神世界の話や2012年問題に関心があるのだがそれに関するあるサイトで偶然この夢の夢解きが出来た。というか夢そのものが実現するということがわかった。TPが2013年までに摂理を終えるという話が出て初めて、2012年問題が私にとって意味あるものとなったのだが 2012年12月22日天文学に秀でていたマヤ文明のマヤ暦はこの日を最後の日としている。暦はこの日を最後に終わっている。この日を境に過去の地球は新しい新生地球として出発する。しかしこの生まれ変わる前の三日間地球は完全なる暗闇に三日三晩覆われる。この間エネルギーと名のつくものは全て停止し車だろうが電気だろうが全く動作せず人類は完全なる暗黒の静けさの中で生き抜くことになる。そしてこの期間に登場するのが天空を覆う宇宙船の群れである。私はこの記述を目にしたときこれだ!と思った。そしてその宇宙船から人類に対してある指示がなされるというのだ。人類皆がその指示を受けたことを確認してその宇宙船軍団は何もなかったようにすっと消え去る。そしてまた普通の状態に世界はもどるのだかここで人類は二つに分かれる。この指示に従いある場所に移動する群れと、経験した内容は皆が団体的幻覚状態で現にまた普通の生活に戻ったということで指示に従わない群れに分かれるというのだ。この2012年問題は宇宙変革、地球変革、人類変革に関する様々な起こりうる内容を忠告している。検索してもいろいろ出てくるし、そのうちこのブログでも触れたいと思うがTPの言及した内容、ありとあらゆる儀式と宣布式、がこの問題とリンクしているように思われ非常におもしろい。

2007年2月14日水曜日

言葉に対する認識

食口は表面的にはもっともTPに近い立場ではある。しかしどれだけ内的に近いかとなると、TP の存在が自分の魂、意識、心情のありようにどう関わっているかだと思う。TPの存在を知らないか認めていない人は表面的に認知していないだけで、そういう人の中にも魂に直結している存在にたいして認め非常に従順な人もたくさんいる。いまだTPを認めていないだけで魂、意識、心情のありようは食口よりTPに近いと言えないか。み言を知っていると食口は言う。しかしみ言をなぞらえて行く時、その言葉言葉の意味するところがTPのそれと同じと言えるだろうか。ひとつの言葉の意味の捉え方も私とあなたとは違う。み言を訓読するとき自分で理解している言葉としてなぞらえていくとき、それはみ言を理解しようとはしていない。み言の言葉の背後に流れる神様の意思と心情を意識的にとらえようとするとき、み言を理解しようとしていると言える。神様を信じる、と言うとき神様の意味がわかっていないし信じるという言葉の本当の意味がわかっていない。自分の勝手に理解した言葉をつかって理解しようとしても無理なのだ。訓読するとき言葉で理解するのではなく意思を感じ心情を感じたときみ言に初めて歩みよろうとしている。

価値をどこに見るか

今を生きると言う意識は重要である。今日の歩みを一歩踏み出すことで未来は出現する。今日の歩みを一歩踏み出すことで過去の実績が生きる。今日の歩みに過去の記憶も未来の構想も含まれる。今この瞬間に為に生きてこそ生きる実感があり生きる意味がある。レストランビジネスは経験積み上げ形のビジネスである。マニュアルが役にたたないとは言わないが相手に喜びを与え安らぎを感じさせハッピーな気持ちで送り届けるのに他人が書いたマニュアルなど参考程度にしかならない。商売道具は自分の人格であり、客をどれだけ思いやるかによって客はこの店はいいとか悪いとか判断する。どれだけ人を気遣う心、愛の心が大きいかで従業員の良し悪しは判断され、そのトータルな従業員の愛の大きさが店の強さとなる。愛は為に生きる実践を通して大きくなる。したがってレストランビジネスは経験積み上げ形ビジネスである。このコンセプトを従業員はなかなか理解しない。開店当時の店に取ってひとりひとりの客がどれだけありがたいか、殆どが中途で採用になって今にいたる従業員はその感覚がわからない。客は自然に入って来るものと思っている。客が数あるレストランの中からこの店に来ることを選んでわざわざ足を運んでくれた、そこに思いを至らす想像力に欠けている。客が入ってきて顔を合わせる段階である程度勝負はつく。ウェルカムかどうか客は一瞬にして自分が置かれている状況を感覚的に判断するのだ。愛の大きさや質を嗅ぎ分ける。ある程度日数もたち慣れた従業員より右も左もわからない新米の方が客の受けが良かったりする。新入者はまだ何も知らないと言う引け目を感じている。行動は自ずと謙虚になる。謙虚さや一生懸命な気持ちで接することに客はひとつの愛のかたちを見る。しかしひと月ふた月、慣れるに従って気持ちもゾンザイになってくる。スーパーバイザーとしてごく最初よりは慣れ始めた頃から注意を向ける必要がある。レストランでの仕事自体は非常に単純なものである。仕事のプロセスや技術の習得にさほど時間を要しない。頭を絞ることもない。だからレストラン業務の位置づけは低い。その為従業員の獲得に苦労するのだがこの位置づけは間違っている。レストランに関わらず直接人と接するもてなし業は物でもなく知恵でもなく技術でもなく、より価値のある心を使うことでビジネスとなす。勿論どんな仕事だろうが心を使う必要はあるがレストランほど心をどれだけくだいたかがその価値を決定づける業種はないと思う。生きることの意味に直接関わることになると思う。宗教臭くなるほどに、これだけ意味深く捉えようとする必要はないのかも知れない。自分から進んでこの業界に飛び込んだわけではないので、自分とこのビジネスの関わりをあらゆる面から見ることによって自分が携わることの意味を見出したかった。今日も客の動きから満足度を計る。従業員の動きから心がどこを向いているかを確認する。従業員と客の間を行き交う愛の波動の周波数を感じとろうとする。

2007年2月12日月曜日

傷害事件

かわいい顔立ちをしていた。いまいちの顔立ちの子の求人応募が多い中で目立った。インタビューをしてみても言動や態度がしっかりしている。フロアマネージャーも是非にと乗り気なのでパートだが雇うことにした。今思えば幾分引っかかるものもあった。職業的勘なのだが気にしなかった。客の受けはそれなりに良かった。誰にでも気軽に声を懸けるからほかの従業員も彼女とやりとりする回数は自ずと増える。相手によっては馴れ馴れしくなる。事件は三ヵ月後に起こる。従業員の内のひとりにおっとりした皿洗いがいた。彼に対してはなれなれしさが高じて軽い気持ちでからかったりしていたのだろう。平日のディナーシフトだった。アシスタントマネージャーから連絡が入った。興奮していて何を言っているのかわからない。早く来てくれというのは伝わったので買い物も取りやめて店に急いだ。裏口から入ると右手に女性のバスルームがある。扉は開けた状態で彼女は立っていた。鏡を通して見える彼女の顔面が膨れ上がっている。手からあふれていたティッシュは鮮血で染まっていた。彼女に声をかけるより先にホールに行ってみた。その皿洗いがふてくされた態度で突っ立っていたので事情は大体わかった。アシスタントマネージャーに事の成り行きを聞いたが殆ど把握していない。とにかくその彼が彼女の顔面をいきなり殴ったらしい。彼に聞こうとするが殆どしゃべらずスパニッシュで口ごもるだけなので全く要領を得ない。後ろに回りそこで初めて彼女に声をかけた。最初に手を出したのは彼女のほうらしい。いつも冗談交じりに彼を小突いていた。それが高じたのかあるいは彼の虫の居所がたまたま悪かったのか結果として傷害事件となった。彼女は割りと落ち着いていた。ポリスに連絡するからと言うと事を大きくしたくない様なことを口にして、止めた。しかし私自身それでも連絡して両者の言い分が記録されたほうが、いく所まで行った折に助けになるような気がした。がやめた。彼はイリーガルだ。やぶ蛇で店に火の粉がかかるかも知れないと咄嗟に思った。それよりも何よりも傷の手当てのほうを最優先しなければならない。救急につれていった。出血は殆ど止まっていたが鼻血がゆっくり流れるのを時折ふき取っていた。救急医は彼女の顔面をゆっくり押さえていきながら彼女に痛みのある箇所を確認していった。立ち上がるとレントゲンを取るからといって彼女を促し私は待合室で待つこととなった。私も幾分落ち着きを取り戻したがこれからの事を思うと気が重かった。小一時間たった後、彼女は重い足取りで出てきた。鼻に添え木をあてがえていた。鼻の骨が折れており整形手術が必要なことを告げた。あとは何も話そうとはしない。早く帰ってゆっくり休んだほうがいいとだけ伝え店の彼女の車の所まで送りそこで別れた。それから二月余りの後、次に彼女にあったのは裁判所の法廷の場である。事件の次の日、彼女からしばらく休む旨の連絡がフロアーマネージャーに入る。二週間ぐらいして知らないロイヤーから連絡がありFAXを送るので番号を教えてほしいとだけ連絡があり切れた。それからすぐにFAXが音を立て一面黒に白抜きの大きな文字でURGENTと送信され、それに続いて告訴する用意のあることとこちらのロイヤーにすぐ連絡するよう、責任者の連絡先を直ぐに知らせるよう送ってきた。客のロイヤーにこの手の専門ロイヤーを紹介してもらいそれから先が見えぬ苦痛の日々が始まるのだか、今思い出してもどういうプロセスを取って何をどうしたか良く覚えていない。結果的には彼の裁判で一年かそこらの執行猶予つきで慰謝料が結構な額だったと思う。店としての落ち度はなしとの事なきを得た。不安で怖くて悩みぬいた末あるとき心の変化が起こりそれからは自分でも不思議なほど気が楽になってひとつひとつこなしていった。そのときの内面の軌跡は”地獄を見る覚悟”に記してある。

開放釈放という恵み

解放釈放という大きな恩恵を受けるときを人類は迎えている。食口、あるいは元食口の枠の中の釈放なのか。あるいは人類全体にたいする釈放なのか。み言に触れていない多くの知人やともに働く人々もいる。私は祝福家庭あなたは堕落世界の家庭、私は恩恵を受ける立場あなたは恩恵から漏れた立場そういう割り切り方でいいのだろうか。私たちに働く神はいるが彼らに働く神はいないということなのか。店はどうなるかわからないけれど、自分は参加するようにと言われた指示に従うまで、と言うその言い方は少し違うように思う。そこに意識しない傲慢さが潜む。そういう傲慢な思いを下げて恩赦の場に望めるのだろうか。店に対する(ましてやTP直属)心配や、他の従業員に対する感謝の気持ちをあわせ持たないないまま、自分は釈放されたと手放しで喜べるのだろうか。終わったら何食わぬ顔でまた店に出て、当然のように給与だけは頂く不思議な存在だ。霊的な恵みを受けたという意味は、その霊的恵みを内的に理解して、私の中に留めずに周辺に施して、霊的恵みの結果を形として周辺に現してこそ、霊的恵みを受けたと自分は納得できるはずだ。霊的恵みの結果を未だ出せないでいるなら、霊的恵みを地に漏らしてしまったと言われても仕方が無い。私達は多くの霊的恵みをその都度受けてきた。そしてその都度、結果を出せないでいる。であるなら、私はその負債をしっかり溜め込んでいる。霊的恵みは内的霊的に理解してこそ霊的恵みに対処できるのであって、祝いのケーキのひとかけらでも戴いたようなものだろうと簡単に思うのなら、それは大きな負債となって清算を迫られる。復帰された本来の私に取って恵みなのであって、未だ堕落の実としての私が八割方占める今の私に取っては恐ろしい戴きものだ。

システム疲弊

この店を担当し始めた当時、殆どの従業員が兄弟で占められていた。マネージする側も従業員としての兄弟側もお互い甘えの構造でドップリだった。扶助制度のため、給与を貰って働くという意識はなく、経営側としての裁量は如何に機嫌を取るかだけに追われていた。人事権もなければ給与査定もない。下手に事を荒げないように兄弟間に於いて平穏に過ごせることだけを考えながら毎日が終わる。これはビジネスとは言えないだろう。形を変えたファンドレージングに過ぎない。移動しない万物復帰だ。そのシステムでいくならそれでもよかった。ただ発展する可能性はないだろう。しかし問題は他にもある。従業員として兄弟のほかに給与制の従業員を雇う。それでも人手は足りないので更に給与制の現地兄弟も雇うことになる。給与対象以外の兄弟、給与制の従業員、そして給与制の兄弟、この三つ巴のトリプルスタンダードは矛盾を通り越していつ破裂分解しても可笑しくない状況だった。三者間のギャップをどう埋めるのか、み旨だと納得させても言葉に行動に感情に出てくる。店は完全にバラバラだった。あの時の状況に比べると大分スッキリして来はしたが、未だに人手不足で兄弟を雇わざるを得ず何人かは雇っている。素直な感想として兄弟は外の空気を吸ってみるべきだ。外の波をかぶらないと思考回路は繋がらない。働く事と受け取る給与との関係性を捉えることが出来ずにいる。さほど給与もあがらないだろうが首を切られることも無いという安心感でゆで蛙状態にある。それを当の本人も気付いてはいない。

経験という価値

新しい店を作ったが失敗したとか投資したが帰ってこないとなると負債として結論づけることになる。どこがまずかったのか甘かったのかしっかりと検証する必要がある。失敗の検証は成功する以上に大切だ。失敗から学ぶことは成功以上にある。ある意味あきらめずに前進し続ければ失敗という認識すらない。失敗と言われていたものは成し遂げるまでの学習のひとつとなる。経営するうえに於いても新しいことをやろうと思えばそれなりの経費なり人件費なりかかる。試行錯誤しながら挑戦するわけだから百発百中という訳には行かない。三つ打ってひとつあたれば上出来と言えるのではないか。では後の二つはただの無駄遣いだったのか。そこから何の学習もないと認めるならば浪費に過ぎない。しかし多くを学べば使った時間や費用以上の収穫をえる。それは今後の経営に大いにプラスになるし内的成長に繋がる。コスト削減に神経質になって新しい投資に躊躇していると発展は望めない。上限を決めて経費を使い勉強代として受け入れる余裕もほしい。パラドックスをどう自分のなかで理解させるか。懸けるべきところにはしっかりかける大胆さと反面、鉛筆は最後まで使い切るという細かさの両面を持ち合わせる。

2007年2月11日日曜日

意識改革

献身という言葉がある。自分は献身者だと思ってやってきた。では献身者とは?全ての財をささげる、中心者の判断に全てを任せる、み旨ができる最低限の生活、等等。献身者というひとつの捉え方が皆にもあり自分にもあった。しかしその捕らえ方はアメリカに来て崩れる。崩れて良かった。献身者という言葉は別としてそういう捉え方やくくりは本当の献身の意味からすると幻影に過ぎないだろう。そういう捉え方に自分を合わせることで自分は良しとされた、と勘違いをしてしまう。全てを捧げ、言われるとおりにし、やるべきことをやっていればまっとうな信仰者だと安心感を覚える。本当は違うと気付いていても周りの兄弟や状況に合わせる事でうやむやにする。献身生活とこの世で言う所のビジネス行動とは相容れない。相容れないものを一つにしようという矛盾に気付かないと何も進まない。やっていることは同じように見えても根本動機や基本コンセプトが違うと全く違うものとなる。普通、自由主義社会において生活を送ると自分の能力や技能によって受け取るものも環境も変わってくる。そこに向上思考や向上心が働くひとつの理由がある。いい意味でも悪い意味でも競争意識が働く。しかし我々は社会主義的な要素があまりにも強い。勿論私の独断ではある。富を得ることは悪だ、楽をすることは悪だと言う刷り込みが入っている。そして中心の指示は絶対、となると普通指示を受ける側はいつ移動や人事の話がでても身軽に移動できるようにという意識が働く。それが身の回りの事だけには留まらない。内的精神的にもしかりで、あまり今の所に力を注ぐと離れづらくなるという無意識なる意識が働く。いやらしく言うとどうせここにずっと居る訳じゃないから、ということになる。そういう状態が続いてきたため自分の力や能力を出せずにいるのに、自分では精一杯がんばっているつもりになっている。自分でも頑張るという意味がわからなくなっているのだ。労働自体が意味があると信じ頭を使うことや心を使うことが抜け落ちている。体制がそうさせたのかそういう人間が集まったのか、おそらく両方だろう。勿論自分もそのあたりの意識改革は他の兄弟と同じように課題だ。かといってこの社会の基準に迎合するわけにはいかないだろうからそこに想像力が必要になってくる。、せめてこのあたりの平均年収くらいは戴いて平均的文化生活をしてみないと客の嗜好や求める雰囲気はわからないし提供できないと思う。いまでこそないが平気で欠けた食器やすりきれた下駄を使っていた。兄弟からすれば節約だと当然のように思っているが客からすれば失礼なプアーサービスで離れていく。一事が万事全体的に我々の店は貧乏臭いということになる。雰囲気にしろサービスにしろ盛り付けにしろセンスはない。エンゲル係数が高い者がレストランをやると味と量と値打ち感が全てと思ってしまう。コスト削減、減らすことばかり考えているから売り上げも減る。指示待ちモードでずっとやってきたから自分から何かやるという思考経路は無いし、自己否定とは考えないことだと勘違いしているからなんの発想もわかない。人を雇うにも自分以上のレベルの人は早々に辞めるか逆に雇う側がうまく使われていたりする。だからまともな人は雇えない。マイナス要素ばかり並べたが現実をしっかり把握しないと次のステップには進めないだろう。

2007年2月10日土曜日

愛すべき我がレストラン業

レストラン業務は決して楽ではない。長時間労働、夜遅くまでの業務、勤務時間中は立ちっぱなし、客相手であるから神経もすり減らすし、従業員間のいざこざは絶えない。私はショウキュウタロウです、と名を名乗ればレストラン業務ということである(少給多労)。レストランの立ち上げは雰囲気をどうするだとかテーブル配置を決めたりメニューを決めたりと、創造過程には夢や理想はつきもので楽しい。しかしいったんオープンにこぎつけ頭が次第に冷めてくると現実問題が山のようにあふれかえってくる。根っからの人好きでないとまず務まらないかも知れない。頭をかかえる八割がたが従業員問題である。レストラン業の世間の位置づけからして、先ず一般的な我々が考える人材は雇えないし集まらない。一癖もふた癖もある人か、彼らが言うまともな職にありつけるまでの腰掛的人材のみだ。コンセプトだ戦略だとビジネスらしきことに手をつけることができるのはずっと先の話となる。きっと毎日の営業だけで精一杯という状況の店が半分以上だろう。マネージャーとは本当に名ばかりで、足りない人手の穴埋めと半人前の従業員の手助け、そして苦情処理の毎日に明け暮れることになる。余程の信仰者か余程のお人好ししかこんな商売選ばない、と正直私は思う。従業員の入れ替わりが激しすぎて両手を挙げるか意味も無く笑うしかない。一度入り込んでみないと解らないし、その状況は理解を超える。本部からいろんな意見を戴いてきたが、説明するのもため息がでるほどの状況は入ってみないと解ってもらえないと思う。しかし問題の大半はコミュニケーションであったりサーブの心がけや姿勢、態度であったりと、人と人との関わりに関することだから問題が多ければ多いほど携わる人間の内的成長度合いも大きくなってくる。勿論この仕事に腰を入れて見ようと覚悟を決めてからのことではあるが。耳にたこが出来るぐらい言われ続けてきた自己否定がここでは要求され、サーブするということは客に喜んでもらいたい幸せになってもらいたいという思いがなかったら続くものではない。そういう意味で人格的心情的訓練としては最適の場なのかも知れない。七年間の公式路程はレストランでということにならないだろうか本当に思う。そんなことで人手不足は解消しないだろうか?どんな魅力的仕事内容であっても嫌になったりマンネリ化したりすることはあるし、逆にどんな仕事でも情熱を持って活き活きとやることも出来る。要するに仕事そのものは選べなくとも、どんな風に仕事をするかは自分で選べる。仕事に対する意識や態度はどのようにも選べるということだ。この仕事を選んだ理由が何であれ、どうせ仕事をするならできるだけ楽しんでしたほうがいい。どんな仕事であっても微笑みと愛情を注ぐ。仕事に対する意識その一)態度を選ぶ(仕事をしているときどんな人間になる?) その二)遊ぶ(仕事の楽しみ方を研究し仕事自体を遊びに変えていく) その三)人を喜ばせる(どうすれば客と従業員そして自分を楽しませることができるか?) その四)注意を向ける(仕事に全力を注ぎ客に注意を向ける) 仕事を愛するとは自分を愛することに結局繋がる。

2007年2月9日金曜日

愛のペニー

ビジネス行動の核は人間としての本来的行動、為に生きる事と同じだと思う。すなわちビジネスも愛を動機としての社会的活動である。ビジネス=愛。 ビジネス=愛という表現をいかに社会に対して客に対して提供できるか。それぞれの団体の"為に生きる"という思い入れの強ければ強いほど、その団体なり企業は発展すると思う。あの大震災の折、いち早くムスビや毛布を届けたり援助の手を差し伸べた企業も少なからずある。社長の気持ちとして、日頃お客様やこの社会を通して活かされている、お返しが出来ることが非常にありがたいというのがあり、感謝の衝動としての表れなのだ。 会社はその会社や自分の為という以前に、人々の為にあるという姿勢が常にないとこのようなとっさの行動は出来ないだろう。愛を与えて喜びを受けることがビジネス行動の核であり、利益を得るのは客からの喜びや満足としての還元でありまたより大きな愛を提供する為の呼び水として捕らえることが大切だと思う。利益に対しての意識が儲けた金という物の段階に留まったら、それ以上発展させることはできない。それは価値創造の停止、授受作用の停止を意味する。利益は明らかに客の喜びや愛がかたちを変えて届いたものであるとの認識が必要だと思う。お金にしろものにしろ物を物として捕らえない、愛のひとつのかたちとして捕らえると、ビジネスも日々の生活も活き活きとしてくる。店のあちこちに客が落していったペニーが転がっている。そのペニーを拾い上げながら、ここまでのペニーの路程を思いこの店に落ちざるを得なかった訳をペニーに聞いてみる。ペニー一枚がいとおしくなる発見がそこにある。最小単位であるペニーを蔑ろにしてお金の流れを見ることはできないし、お金の価値を見ることも増やすこともできない。

ご要請

ここにいる恩恵で数十回にわたるお食事の要請を戴いてきた。一番最初の時のことは忘れたくとも忘れられない。感謝の想いで忘れられないのではなく、その衝撃で忘れることができない。その日電話は10時を越して入ってきた。まさか当日に要請があるとは思いもよらず、まさに寝耳に水、しかも昼食の時間まで二時間もない。レストランからホテルまで40分は掛かるのにまだ何の準備も出来てない、どころか店に行く準備すらできてはいない。食材の心配よりも何よりも時間的に無理である。無理であれば丁重に断りをいれれば済むだけの話だったのかも知れないが、その時は全く経験もなく断る選択があることなど眼中になかった。全てにおいてNOは許されないと言う思いがあった。まさに取るものも取り合えず身だしなみを整える余裕もなく無我夢中で準備し、あせる思いでホテルに届けに行った。入り口では御付の方数人、その中にJもおられた。”遅い!”と声を荒げ準備したものを奪い去るように持ち去りスイートルームに届けられた。時計は12時40分をこえようとしていた。J婦人に隣部屋に案内され遅いので御父様はハンバーグを少し食べられた事をそこで聞かされた。御父母様は殆ど何の会話もなされず食器の音だけが私を責めるように隣の部屋に響いた。食事をされる時間はいつも短い。食卓に並べるのが早いか下げるのが早いかと言った感覚である。その時も三分も経たなかったと思う。終えられたから挨拶をするようにと促され、着の身着のままの姿で敬拝をささげることになった。御母様が何か一言二言御父様にささやかれる。御母様は笑みを浮かべておられたが御父様は口を閉ざされ窓の方をずっと見ておられた。私の方に向きを変えられることはとうとうなかった。出るように促されJ婦人からご苦労様とねぎらいの言葉を戴いてホテルを後にした。あの時の凍りついた情景が目について今も離れない。一番大切な時、その時に自分はなすべきことができなかった。自分を呪った。あの時怒声でも浴びることが出来たらどれ程楽だったろう。しかし一瞥もされずにやり過ごされた。帰った折、相対には”満足頂けなかったので断食をする”とは言ったが本当の所はショックで飯が喉を通らなかったのだ。三日間の断食、いや食欲不振である。あの時の思いは切腹すら辞さないほどの落ち込みだった。三日三晩生きた心地はしなかった。日にちが経つにつれひとつの思いが表れた。私とTPとの距離は何を以ってしても埋もれない、幾星霜の隔たりがあるという事実だった。いままでの信仰生活いや人生すら否定された思いだった。しかし、だからこそ慕うことが許され侍ることが許されることがどれだけ感謝であるかに思いは到る。それから来られる度にお呼びがかかり、その場でお声をかけて頂けることもあったが何度用意させていただいても最初に味わうことの出来たあの思いと心情を忘れたことは無かった。何度かお小遣いも戴いた。しかし私が戴いたのではなく全体を代表して戴いたのだという強い認識は、あの最初の経験が無かったらきっと無かっただろう。恐ろしくも栄光を自分のものとして受け取っていただろう。そして戴いたもの自体がありがたいのではなく、兄弟を代表した私の為、店の為、レストラン部の為、心を配って下さったそのことがありがたいのであって、分けていただいた気持ちを公的立場でありがたく頂き、その愛の何倍も返して差し上げたいと思う気持ちを大切にしたいと思った。

気付きに関する考察

人は置かれた状況が困難であったり、思い通りに行かない事で自分の運命を卑下したり、自分を惨めに思ったりと、いろんな感情に振り回される。ここで大切な事がある。いろんな感情を抱いている自分を観察できるもうひとりの自分を見出し主体に置くことだ。そのもう一人の自分は起こっている状況を十分な意識をもって気付く。そしてそれに対する自分の感情反応の動きを観察する。そしてその反応に対する認識の選択の自由は自分にあることに気付く。従業員も自分の思う通りには動いてくれない。何度も口をすっぱくして注意するがそんな一言で自分の思いが理解されるのであれば何の苦労もいらない。そこでその従業員に対して不平不満な思いやネガティブな思いが、自分の頭の中や感情体を占める。責任者としてその従業員に対する位置づけをわたしの感情判断にゆだねてしまうと、遠からずその従業員は離れざるを得ない。ここでもうひとりの自分が必要になってくる。もう一人の自分は、育った環境、置かれた環境のまったく違うこの従業員を理解することを要求しその従業員は私から学ぶ為に私の隣にいるのであり私は愛を持って教える為にこの立場を神が用意されたのだと私に諭す。心を平安に保てと要求されるのではなく、怒気を含もうが口早に説教しようがこの従業員を愛し正せと要求する。感情判断にゆだねて突き放すのも、取るべき姿勢を認めそう努力するもわたしの認識の選択の自由は自分にある。要するに外的状況は変えることができようができまいが、その内的状況を変える判断は自分にある。内的進路をどう取るかで新しい軸足を乗せるポイントが出来る。この内的判断を一瞬一瞬しているわけである。運命はそこを起点に変化しつつ展開していく。よって意識の方向に運命は動いていく。良心を顕在化させた新しい自分を中心に生きてこそ、堕落世界にどっぷり浸かった生活から引き上げられる。

特別修練会

今回特別修練会が行われる。いままでも何度か兄弟が参加するため店や他の従業員に無理を強いることが多々あった。自分が参加するのは当然であり店や他の従業員に後のことは任せて、さも当たり前という態度は為に生きる、犠牲的精神を教えられてきた者の態度としてあまりにも恥ずかしい。自分は恵みを受けて当たり前、意味を知らないあんた達は働いていろと言うのとなんら変わりはないと思う。終わったら、他の従業員に対する慰労の言葉も態度も無く、当たり前のようにもとの職務につく。裁きの気持ちのひとつもでてくるが本当は自分の態度や行動が信仰や愛とは別物であることに気付かない。そういった兄弟たちこそかわいそうな立場なのかも知れない。右を向けと言われれば右を向き、左を向けと言われれば理由も聞かず左を向く。そこに思考を働かせ感情を挟めば着いて来れる道では無かったのだ。隣で悩んでいる兄弟がいても自分がついて行くのが精一杯であり、自分の参加費用を何とかするので精一杯であり、周囲を思い遣る余裕など全く無かったのだ。自分を含めて心の狭い我々をし頼りにするしか出来なかった御父様や神様に想いをかけるべきで、兄弟に対して裁きの目で一瞥でもするなら、彼ら以上の裁かれる立場に自分はあるだろう。彼らと自分は別物という驕りは醜い。彼らの中に見えるものは自分の中にもある。自分の中にあるから目に付かなくてもいい事柄が目に付いて一言言いたくなるが、それは自分に向けて戒めるべき一言なのだ。

仕事に関する考察

従業員と店(会社)の授受作用の関係を見てみる。今までは従業員は労働を店に与え(GIVE)、店から給与を頂く(TAKE)。しかしこの関係性は交換条件でしかなく授受作用として発展しない。これからの関係性は”ものBASE”から”愛BASE"に意識モードを変えないと発展しない。愛BASEに目覚めると従業員と店の関係は店の為にと言う意識がすべての考え、行動の基本となり営業時間の間適当に体を動かしていればいいという状況からはるかに建設的なものとなる。そして店から受けるものは有形無形のエネルギー、例えば店が発展すれば喜びを感じるとか店を通して内的外的に成長させられるものがあるとかもちろん給与だってその一つではある。労働組合のごとく、労働の交換条件として給与は勝ち取るものと言う意識から、従業員と店との関係性は次元が高まり店と自分が一体となっていく、店の痛みが自分の痛みとして感じる、店の発展が自分の喜びとなる、などの授受作用としての発展スパイラルが築かれていく。給与は店から与えられるほんの一部でしかないし、もっと大きな魂の成長を与えられているという実感を受け取ることができれば、どれだけ仕事の意味は増すだろう。愛BASEとは店の為に、教会の為にという先ず意識が重要であって意識の伴わない労働にしろ献金にしろ経費であったり損金であったりの扱いに等しく、為になしたという意味合いからは程遠い。逆に言えば献金しているからといって為に生きた、み旨をなしていると言うことはできない。献金することに為に生きると言う意識が備わり、与えることの喜びとして扱われた場合、初めて意味をなすのであって、そうでなければ信仰しているという自己満足的安心感(しか得ることは出来ないという交換条件)で終わってしまうだろう。

対処意識と創造意識

食口、とひとくくりにすることは語弊があるが私の店で働いてきた兄弟をみるかぎりでは他の従業員、他の人との比較をみると”やる気”という気が希薄である。与えられた仕事をまじめにやっているけれどそこに夢だとか生きがいだとか熱情というもの(欲)を感じられない。与えられたことをこなすという意識はあるが自分でこうしたいこうなりたいという思い入れが希薄なのだ。新しいアイデアを出す、発想を出す、新しい物事を考えるという意識は、与えられたことをこなすだけの意識(対処意識)からは出てこない。今ある位置も与えられたもの、給与も自分で作り出したものではなく与えられたもの、すべてが与えられたもので自分で勝ち取ったものではない。今までもそうでありこれからもそうであるという意識が生き続ける。しかしこの世で成長しようとするなら(給与をあげるとか店をだすとか事業を拡大させる等)、対処意識では優位に立てない。自分から新しいものをつくりだす意識(創造意識)をもって新しい価値創造、価値提供をこの世にうってでる。それがいいものであれば(価値を認められれば)必ず屈服させていくことができる。新しい価値を与えるという企業的愛の形は為に生きるということになる。対処意識に固まってしまうと世間に受け入れられない(価値を認められない)陳腐な発想かせいぜい他の店の真似事しか出てこない。

2007年2月8日木曜日

地獄を見る覚悟

ひとり店に残って今日の締めをしながら、孤独と不安で泣きそうになる。自分のふがいなさや現状の窮状に押しつぶされそうになる。何日間悶々としてきたことか、眠れぬ日々をすごして来たことか。さも自分に実力でもあるように今まで経営してきたが、それが音を立てて崩壊してしまった。思いも因らない事柄によって、一瞬で築き上げたものは崩壊するんだという事実を突きつけられ、築き上げてきたものがどれ程頼りないものかと言うことを突きつけられた。内的なものを重視してきたつもりが、本当は外的なものに頼り、いつ消えるとも知れない儚く虚しいものに寄りかかっていた。ひとしきり過去への執着を未練がましく抱えて悶々とした末に、いまできることをやるしかない、結果は神様に任せるしかないという踏ん切りがやっとついた。。奇跡はここから起こる。いきなり売り上げが二倍になったとか抱える問題がいっぺんに解決されたとかではなく、自分の心の中に劇的な変化が起こった。理論上どうしようもない状況で、悩んで悩んで悩みぬいたのち右脳が動き出した。心が吹っ切れた状態になり、どうでもいい理屈が消えて本心が心と体を動かし始める。コンセプトだ何だ、たかが自分の考えなど知れている。今日という一日に自分の5%という最善を尽くす。そして結果は天に任せる。明日が消えようとも明日の事は明日が煩う。ただそれだけのことだ。自分がどう見られようが従業員がどうしようがそんなの関係ない。本部が何をしてくれるか?関係ない。今日一日を精一杯やれることをやる。一ドル一ドルの売り上げを、全てを振り絞って自分の力で復帰するだけ。それしか道はない。営業上の問題や窮地に見舞われたとき私たちは弱い。この世では本来自分の血と汗の結晶である貯金をはたいたり、こんな大金どうするんだろうと恐ろしさの伴う借金をしてまで店を出す。そういう覚悟があればこそいろいろな営業上の困難を乗り切ることができる。我々にはそれがない。自分の命と引き換えにこの店をやっているという覚悟はない。神様のためみ旨のため、言っているその口が腐る。聖業と言いたいのならどれだけ身の削る思いをしてきたか自分に問うべきだろう。

ビジネスの捕らえ方

私は、儲けるとか儲かると言う言葉にはしっくり来ないものがある。儲けるという言葉の意味合いの中には、うまく巻き上げると言う意味合いが感じ取られる。ビジネスの捕らえ方として二通りあると思う。ひとつはTAKEを基本コンセプトとした儲けようという利益中心主義のビジネス観、もうひとつはGIVEを基本コンセプトとした、価値を提供しよう(新しい便利さとか今まで無かったサービス)という他への喜びや幸せを与えることを中心としたビジネス観、しかしこの場合ボランティアとは違う与え続ける為にプロフィタブルであるべきであってプロフィットのためのビジネスではないということ。わたしが関わっているレストランに例をとれば、どんな店が儲かるのかと言う観点の立ち上げではなく、どんな店が客に喜んでもらえるか、魅力的な価値を提供できるかという観点からの立ち上げを意味する。私の店は取り合えず利益は出ている。これだけの利益を出そうとしてコントロールしたのではなく利益は結果に過ぎない。客に良かれと思い自分なりの価値提供をしてその価値を客が認めてくれた価値判断の数字が利益であるということ。だからフードコストを30%に抑えるだとかプライマリーコストを65%に抑えるだとかは経営状況のある一面のものさしではあるけれど、それを振りかざすことに意味はほとんどない。数字はしっかり見るべきなのはその通りだ。しかし結果の数字、あるいはある時点における切り取った断面の数字ではなく、どういう数字の動き方をしているか、動きの方が重要でありまたその動きの意味を探ることの方が重要である。

逍遥するとは

周りからの情報を遮断し、自らの思考の底へと旅をして、潜在意識のかなたからみえてくる本質を発見したとき、ぼやけていた自我の形が少しずつ鮮明になってくる。