2007年2月9日金曜日

対処意識と創造意識

食口、とひとくくりにすることは語弊があるが私の店で働いてきた兄弟をみるかぎりでは他の従業員、他の人との比較をみると”やる気”という気が希薄である。与えられた仕事をまじめにやっているけれどそこに夢だとか生きがいだとか熱情というもの(欲)を感じられない。与えられたことをこなすという意識はあるが自分でこうしたいこうなりたいという思い入れが希薄なのだ。新しいアイデアを出す、発想を出す、新しい物事を考えるという意識は、与えられたことをこなすだけの意識(対処意識)からは出てこない。今ある位置も与えられたもの、給与も自分で作り出したものではなく与えられたもの、すべてが与えられたもので自分で勝ち取ったものではない。今までもそうでありこれからもそうであるという意識が生き続ける。しかしこの世で成長しようとするなら(給与をあげるとか店をだすとか事業を拡大させる等)、対処意識では優位に立てない。自分から新しいものをつくりだす意識(創造意識)をもって新しい価値創造、価値提供をこの世にうってでる。それがいいものであれば(価値を認められれば)必ず屈服させていくことができる。新しい価値を与えるという企業的愛の形は為に生きるということになる。対処意識に固まってしまうと世間に受け入れられない(価値を認められない)陳腐な発想かせいぜい他の店の真似事しか出てこない。

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