2007年2月10日土曜日

愛すべき我がレストラン業

レストラン業務は決して楽ではない。長時間労働、夜遅くまでの業務、勤務時間中は立ちっぱなし、客相手であるから神経もすり減らすし、従業員間のいざこざは絶えない。私はショウキュウタロウです、と名を名乗ればレストラン業務ということである(少給多労)。レストランの立ち上げは雰囲気をどうするだとかテーブル配置を決めたりメニューを決めたりと、創造過程には夢や理想はつきもので楽しい。しかしいったんオープンにこぎつけ頭が次第に冷めてくると現実問題が山のようにあふれかえってくる。根っからの人好きでないとまず務まらないかも知れない。頭をかかえる八割がたが従業員問題である。レストラン業の世間の位置づけからして、先ず一般的な我々が考える人材は雇えないし集まらない。一癖もふた癖もある人か、彼らが言うまともな職にありつけるまでの腰掛的人材のみだ。コンセプトだ戦略だとビジネスらしきことに手をつけることができるのはずっと先の話となる。きっと毎日の営業だけで精一杯という状況の店が半分以上だろう。マネージャーとは本当に名ばかりで、足りない人手の穴埋めと半人前の従業員の手助け、そして苦情処理の毎日に明け暮れることになる。余程の信仰者か余程のお人好ししかこんな商売選ばない、と正直私は思う。従業員の入れ替わりが激しすぎて両手を挙げるか意味も無く笑うしかない。一度入り込んでみないと解らないし、その状況は理解を超える。本部からいろんな意見を戴いてきたが、説明するのもため息がでるほどの状況は入ってみないと解ってもらえないと思う。しかし問題の大半はコミュニケーションであったりサーブの心がけや姿勢、態度であったりと、人と人との関わりに関することだから問題が多ければ多いほど携わる人間の内的成長度合いも大きくなってくる。勿論この仕事に腰を入れて見ようと覚悟を決めてからのことではあるが。耳にたこが出来るぐらい言われ続けてきた自己否定がここでは要求され、サーブするということは客に喜んでもらいたい幸せになってもらいたいという思いがなかったら続くものではない。そういう意味で人格的心情的訓練としては最適の場なのかも知れない。七年間の公式路程はレストランでということにならないだろうか本当に思う。そんなことで人手不足は解消しないだろうか?どんな魅力的仕事内容であっても嫌になったりマンネリ化したりすることはあるし、逆にどんな仕事でも情熱を持って活き活きとやることも出来る。要するに仕事そのものは選べなくとも、どんな風に仕事をするかは自分で選べる。仕事に対する意識や態度はどのようにも選べるということだ。この仕事を選んだ理由が何であれ、どうせ仕事をするならできるだけ楽しんでしたほうがいい。どんな仕事であっても微笑みと愛情を注ぐ。仕事に対する意識その一)態度を選ぶ(仕事をしているときどんな人間になる?) その二)遊ぶ(仕事の楽しみ方を研究し仕事自体を遊びに変えていく) その三)人を喜ばせる(どうすれば客と従業員そして自分を楽しませることができるか?) その四)注意を向ける(仕事に全力を注ぎ客に注意を向ける) 仕事を愛するとは自分を愛することに結局繋がる。

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