2007年2月20日火曜日
物に対する意識
収入をどうやって増やそうかを考える以上にどういうふうに支出するかの方がある意味より重要だ。仕事技能が高まってくるに従い収入が段々と増えてくる。そして収入に応じて使い方(支出)もより複雑になってゆく。その過程を通していかにマネージするかを学習する。しかしこのプロセスを略してある日突然急に収入が増えたとしても何にどう使えばいいか解らない。使い下手は経営(やり繰り)下手だ。貧乏人が急に宝くじに当り大金を手にするのと似ている。使い方の感覚が解らなくて三年も経たずに全部すってしまう。挙句に浪費癖が直らず借金地獄にはまる事になる。使い方によってお金(万物)が生きたり死んだり凶器になったりする。扶養制から給料制になった兄弟もこの傾向が強い。要するにやり繰りがまずいのだ。我が家もそうだが、もったいないという思いが強すぎて物を捨てられない兄弟が多い。家であれ部屋であれ空間は限られている。その空間をどう使うかなのだ。当の本人にすれば自分の手に一度は入ったものだからという執着がある。しかしその物自体が価値あるものとの見方は間違っている。使われて初めて価値が出てくるのであり、一年を通して一度出して見るか見ないかの物は当人にとっては殆ど無価値に等しい。捨てるのはもったいないというが私にすれば限られた使える空間をその物によって占領され無駄にしているほうが余程もったいない。使わない物、自分の意識の外にある物というのは滞ったエネルギーである。それ自体が息をしていない。早く処分して次なる物に変化させてあげたほうがその物の為でもある。人が住まなくなった家は三年も経たないうちに廃墟になるのと同じことだ。使わない物は死ぬ。自分がハンドルできる物と意識をかけることができる物だけにしたほうがいい。そういう物たちは活き活きしている。死んだ物で埋め尽くしていると新しい物が入ってくる余地はなく空気も霊気もよどんでくる。よって新しい運勢は回ってこない。
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