2007年2月28日水曜日
アセンション (次元上昇)
この世界で生きている以上、時間軸を無視することは出来ない。何にも左右されず規則正しく流れているように見える。しかし時間は流れているのではなく、その距離を縮めながらある一点に向かっているのだ。そして目的のその時は必ず来る。その時宇宙は大変革を遂げる。数え切れぬ星々を巻き込み地上界天上界を巻き込み時間軸空間軸を巻き込み宇宙は変容する。それが神様の摂理であり捉えようによれば天地創造の真の完成を意味する。そして最後でありまた最初であるその時は真の完成の為に引導を采配する真の父母が絶対的に必要であるのだ。み言葉に全ては記されているのだが我々の器と測りで、捉えはかろうとしても無理がある。霊性に目覚めない限り真の父母の絶対的価値は認識できない。み言葉の真の意味は理解できない。時が迫るに従い数を増してきた宣誓式宣布式、全てがその時を迎える為のなくてはならない布石であり采配である。そしてそれらは象徴的な内容ではなく具体的なる行動が伴うのだ。宇宙的次元で手を加えられる。そしてその時がどのような時か。自分には解らない。想像を超える事態が発生することは明らかだが自分には解らない。今の時が仏教的に言えば弥勒菩薩の現われる時でありキリスト教的に言えば再臨の時であり精神世界的に言えばアセンションの時である。そしてそれら全ては真の父母の到来を意味する。来るべき時とは霊的な内容であるとの認識を多くの兄弟は持っている。しかし物理的なもの霊的なものは密接な関係にあるという以上に表裏一体である。あの世で起こることはこの世で起こり、この世で起こることはあの世で起こる。既に起こりつつあるのだが如何せん霊的感性の鈍い我々は認識できない。しかし臨界点に近づき始めると霊性のそれなりに強い人から、ただ事ではないことを認識し始める。経済システムを含むあらゆる人為的システムは意味を為さない。それらは既に悪によって汚染されたシステムだ。物の流れに金の流れに人の流れに悪なる霊的要素が含まれている。物と人の怨念でヘドが出るほどに地球は悪なる要素を抱えている。怨念霊と我欲で肥え太った人間は相当の覚悟をしないとこの時を迎えることは出来ない。今でこそ金銭は仲介物としての価値として天は認めている。如何に使うかで功を天に積むことは今なら出来る。しかしどれほど財を成そうが来るべきその時、すべては無価値であるどころか供えることが出来なかった恨みを代々残すことになる。そこを心配しての親心の表れが献金摂理、清平摂理であることを理解するなら供えることがどれほど感謝であるか。地獄も金次第というその口に忌まわしい物欲霊が取りつく。飛ぶ鳥に習い羽ばたく蝶に習い肉を削り身を軽くして大移動に望む。
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