2007年2月8日木曜日
地獄を見る覚悟
ひとり店に残って今日の締めをしながら、孤独と不安で泣きそうになる。自分のふがいなさや現状の窮状に押しつぶされそうになる。何日間悶々としてきたことか、眠れぬ日々をすごして来たことか。さも自分に実力でもあるように今まで経営してきたが、それが音を立てて崩壊してしまった。思いも因らない事柄によって、一瞬で築き上げたものは崩壊するんだという事実を突きつけられ、築き上げてきたものがどれ程頼りないものかと言うことを突きつけられた。内的なものを重視してきたつもりが、本当は外的なものに頼り、いつ消えるとも知れない儚く虚しいものに寄りかかっていた。ひとしきり過去への執着を未練がましく抱えて悶々とした末に、いまできることをやるしかない、結果は神様に任せるしかないという踏ん切りがやっとついた。。奇跡はここから起こる。いきなり売り上げが二倍になったとか抱える問題がいっぺんに解決されたとかではなく、自分の心の中に劇的な変化が起こった。理論上どうしようもない状況で、悩んで悩んで悩みぬいたのち右脳が動き出した。心が吹っ切れた状態になり、どうでもいい理屈が消えて本心が心と体を動かし始める。コンセプトだ何だ、たかが自分の考えなど知れている。今日という一日に自分の5%という最善を尽くす。そして結果は天に任せる。明日が消えようとも明日の事は明日が煩う。ただそれだけのことだ。自分がどう見られようが従業員がどうしようがそんなの関係ない。本部が何をしてくれるか?関係ない。今日一日を精一杯やれることをやる。一ドル一ドルの売り上げを、全てを振り絞って自分の力で復帰するだけ。それしか道はない。営業上の問題や窮地に見舞われたとき私たちは弱い。この世では本来自分の血と汗の結晶である貯金をはたいたり、こんな大金どうするんだろうと恐ろしさの伴う借金をしてまで店を出す。そういう覚悟があればこそいろいろな営業上の困難を乗り切ることができる。我々にはそれがない。自分の命と引き換えにこの店をやっているという覚悟はない。神様のためみ旨のため、言っているその口が腐る。聖業と言いたいのならどれだけ身の削る思いをしてきたか自分に問うべきだろう。
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